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創設者 大隈重信
和暦・西暦
歳
事項
天保9年(1838)
2月16日
佐賀の会所小路で生まれる。
弘化元年(1844)
6
藩校弘道館の外生寮に入る。
嘉永元年(1848)
10
外生寮で「会読」に進級する。
嘉永3年(1850)
12
6月
父信保逝去。
嘉永6年(1853)
15
1月
弘道館の内生寮に入る。
安政元年(1854)
16
5月
義祭同盟に加わる。
安政2年(1855)
17
6月
弘道館で南北騒動が起こり、主謀者として退学させられる。
安政3年(1856)
18
蘭学寮に入る。枝吉神陽に国学を学ぶ。
文久元年(1861)
23
蘭学寮が弘道館に合併され、重信、教授となる。
藩主鍋島直正にオランダ憲法を進講。
○英学をはじめる。
元治元年(1864)
26
藩当局に、経済政策について意見を述べる。
長崎「代品方」(貿易機関)に派遣される。
慶応元年(1865)
27
長崎に英学塾「致遠館」を設立する。
慶応3年(1867)
29
3月
徳川慶喜に大政奉還をすすめるため、副島種臣とともに脱藩して京都に行く。
5月
藩吏につかまって佐賀へ送り返される。
1ヶ月の謹慎を命じられる。
12月
佐賀へ帰って、鍋島直正に時局を説き上京をうながしたが不成功に終わる。
慶応4年(1868)
30
3月
徴士として政府に召し出され、外国事務局判事となって長崎に勤務する。
明治元年
4月
キリスト教信者の処分問題、イギリス公使パークスと論争して名を上げる。
12月
外国官副知事となる。
明治2年(1869)
31
2月
三枝七四郎の娘綾子と結婚する。
3月
会計官副知事を兼任する。
4月
築地に家を建てる。7月大蔵大輔となる。
明治3年(1870)
32
9月
参議となる。
明治6年(1873)
35
10月
大蔵卿となる。以後財政面で活躍する。
明治13年(1880)
42
2月
大蔵卿を辞任する。
明治14年(1881)
43
3月
国会開設問題について、伊藤博文と意見が合わず対立する。
7月
天皇の東北巡幸にお供する。
10月
政変によって参議を辞任する。
明治15年(1882)
44
3月
立憲改進党を結成しその総理となる。
10月
東京専門学校(のちの早稲田大学)を開校する。
明治21年(1888)
50
2月
外務大臣となり、条約改正にとり組む。
明治22年(1889)
51
10月
玄洋社員来島恒喜に爆弾を投げられて負傷し、右脚を切断する。
明治29年(1896)
58
9月
外務大臣となる。(翌年12月辞任)
明治31年(1898)
60
6月
憲政党を結成、第一次大隈内閣をつくる。(日本初の政党内閣)
11月
内閣解散。
明治35年(1902)
64
9月
東京専門学校を大学組織に改め、早稲田大学と呼ぶ。
明治40年(1907)
69
4月
早稲田大学総長となる。
大正3年(1914)
76
4月
第二次大隈内閣を組織する。
大正11年(1922)
83
1月10日
死去。
1月17日
日比谷で盛大な国民葬が行われる。
(大隈記念館(佐賀市)資料 抜粋)
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