
壮年まで多忙を極めた大隈も、早稲田に移り住んでからは時間の余裕もできて、さまざまな趣味を楽しみました。
大隈邸には温室が造られていて、世界の蘭の珍種数十種が集められました。のちにはメロンの栽培まで始めたのはよく知られています。さらに、朝野の名士を集めて毎年11月に開かれる大隈邸の観菊会はとくに有名でした。
しかし、大隈の最大の趣味は、令嗣夫人光子さんが「何と申しましても、一番好まれたのはお客でございました」と言っているとおりです。特に文明運動を始めてからの早稲田邸には、毎日のように沢山の客がつめかけてきました。その数は20〜30を下らず、ときには50人、70人に達することもあったといいます。大隈はこの多数の客を心から歓迎し、座談を楽しみ飲食をともにしました。雨の日など客が少ないと、「今日は入りが少ない」と言って淋しがったそうです。
大隈の座談は談論風発、元気に満ちあふれ、客から出される質問に対してしばしば拳を振り上げゼスチュアを交え、あふれんばかりの知識を傾けて語り、何時間でも疲れを知らなかったといわれます。大隈の鋭敏な頭脳は、この座談の間に客から豊富な知識を吸収し、それがまた次の座談に生かされ、満座の客を喜ばせ感服させることになったのです。
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大隈邸の台所
大隈邸の台所は上流社会の模範とまでいわれた。明治45年、1年間の来客は23,963人におよび、この内食事を供した数は、上1,523人前、並1,641人前、西洋料理550人前、計3,714人前という記録がある。 |
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