
「人間は125歳までの寿命を有っていると言うのが、我輩の説である。しかし、之には敢えて深い論のあるわけではない」と大隈は、その座談集『縦談横語』の中で語っています。しかし、まったくその拠る所がないわけではありません。最初は不用意に、来訪者に「我輩は125まで生きるのじゃ」と豪語したのがその発端といいますが、大隈は、その論拠はたちまち成り立たせてしまいます。すなわち「生理学者の説によると凡(すべ)ての動物は成熟期の5倍の生存力を持っているというてある。そこで人間の成熟期は25歳というから、その理屈から推してその5倍、125歳まで生きられる」という訳です。
生理学の泰斗(たいと)永井潜博士にその学問的根拠如何を聞くと、「大隈侯の125歳説は100年前ドイツのフルーランが唱えた処から来ているのであろう。尤も、同氏より前1749年バッホンが人間の成熟期を14歳としてその6,7倍が寿命である、と唱えたのに始まって、フルーランが更に之を修正し、成熟期を25年として、其の5倍、125歳説を立てたのであるが、その後、動物の大小と寿命の長短の関係から論じたものや、身体における各種器官の構造上の相違から寿命の長短を説くもの」などが現れたということです。しかし、大隈の真の説は、生理上の寿命もさることながら、「精神の力が体力に克つ」というところにありました。
「肉体を支配する精神、例えば肉体が健全であっても勇気のない者は病気である──意思の力の閃(ひらめ)きが絶えず五体を支配して自己と言う精神が生々して来れば、必ず肉体はこれによって支配される。勇気、反抗力、活動、この三ヵ条を補うに適当なる摂生を以てすれば、必ずしも人生僅か50年というような情けない弱音を吐く必要はない」。これが大隈の125歳説を唱えた理由です。
日常の生活もいたって規則的で、早朝5時には起床、庭を1,2時間かけて散歩し、夜は9時には就寝しました。貴族富豪にありがちな放埒(ほうらつ)なところはありません。何事も修養である、というその修養とは、「なにごとも楽観的にみること、怒るな、貪るな、愚痴をこぼすな、そして、世の中のために働け」でした。
(『エピソード 大隈重信』より)

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