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幕末、大隈重信は長崎でひとりの外国人と出会います。
宣教師としてキリスト教伝道のかたわら、塾を開いて英学を教えていたフルベッキ(Guido H.F.Verbeck)です。フルベッキは博大な知識と人徳を備え、彼に学んだ大隈は世界の大勢に目を開かされました。折から政局の激しい転回のなかで、欧米の新知識が希求されている時流もあり、大隈は新たに英学塾を開いて若者たちを教育することを計画します。そこで、大隈は同藩の知人や先輩とともに、長崎・五島町に「致遠館(ちえんかん)」を開きした。恩師・フルベッキを校長に、副島種臣(次郎)を学監に迎え、学生数30人ほどでスタートし、出身の佐賀はもとより藩や階層、年齢を問わずに学生を受け入れ、最盛期は100人を超えるほどだったといいます。大隈は実質上の経営を行い、また自らも英語の教鞭をとっていました。
「学問の独立」を理念とする早稲田設立の構想は、人と教育が好きだった大隈が、英学修行や致遠館の経営から得た教訓に基づいているといえるでしょう。

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