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 1916(大正5)年6月10日、大隈は早稲田の私邸にインドの詩人タゴールを迎えました。タゴールは当時、日本に約3か月滞在しておりましたが、その内の一日に、日印協会会長である大隈を訪ねたのです。庭園を前にしての歓談は2時間にも及んだといいます。タゴールは、インド文芸復興の第一人者として活動しており、当時すでにヨーロッパ文明にあきたらず、「西洋文明も一概に排斥すべきではない。わが国は東西文明の調和融合を為すべき使命を帯びている」と説いています。

大日本文明協会刊行物

 

 「東西文明の調和」は大隈の生涯の命題でした。すなわち、「西洋文明必ずしも最上の文明ではない。東洋文明は西洋人より誤解をされているが、その内容には、能く西洋文明を凌駕するに足るものがある。日本は西洋文明の短所を去り、東洋文明の長所を加味し、両文明を調和して新しい文明を創り出すに最も便利の地にある」と言い、「そのための研究事業はひとり自分の為でなく、国民全体の事業である」とも言っています。

 そのためには、日本の学術文化の向上が急務であると考え、「国書刊行会・大日本文明協会」を設立し、それぞれの総裁・会長となって、続々と有益な図書を刊行しました。「国書刊行会」は古来の名著の内、未刊行のものを8期に分けて260巻、「文明協会」は西洋の名著の翻訳書などを出して、その数280巻に及んでいます。文明協会の会合では、毎月自邸を開放し、100人、200人の学者・名士を集めて茶話会を催し、各界の研究者を招いてその講和を聴きました。大隈も必ず出席して、3時間余に及ぶ話を聴いていたといいます。協会で刊行した図書はすべて読破し、新知識として、即座に演説のなかに折り込み、列席のものを驚かせたりもしました。

(『エピソード 大隈重信』より)

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