2009年度学部入学式において名誉博士学位贈呈、芸術功労者・スポーツ功労者を表彰

News
2009年4月1日

 4月1日に挙行された2009年度入学式において、ガビン・ブラウン氏およびブンヤシット・チョークワッタナー氏に名誉博士学位を贈呈、三木卓氏を芸術功労賞として、川淵三郎氏をスポーツ功労者として表彰いたしました。


【名誉博士学位:ガビン・ブラウン氏】
 1942年2月27日英国スコットランドのファイフ生まれ。セント・アンドリュースのマドラス・カレッジを首席で卒業。セント・アンドリュース大学で1963年に修士号(人文科学)を、ニューカッスル大学で1966年に博士号を取得。
 1976年にオーストラリアのニューサウスウェールズ大学の純粋数学の教授に就任後、数学部長、科学部長を歴任した。1994年から1996年にはアデレード大学学長を務め、1996年から2008年まで12年にわたりアジア太平洋地域では屈指の研究教育拠点であるシドニー大学の学長として強力なリーダーシップを発揮。研究活動の充実、スポーツをはじめとする学生の課外活動も奨励し、大学の発展に寄与した。現在はオーストラリア王立科学協会の初代所長として、イギリスの王立科学協会と連携のもと、オーストラリアにおける科学の発展に尽力している。
 また、専門である数学に関する研究では、フーリエ解析に関する業績で、1977年にエドマンド・ホワイタッカー卿記念賞、1982年にはオーストラリア数学協会メダルを受賞するなど、その研究業績は高く評価されている。

名誉博士学位とは
※顕彰状はこちら


【名誉博士学位:ブンヤシット・チョークワッタナー氏】
 1937年7月25日タイ王国バンコク生まれ。1953年ワットスタット高等学校を卒業し、サハ・パタナピブン社に入社。その後、日本での駐在員経験などを経て、サハグループ会長に就任。
 卓越した指導力と先見性を持った経営戦略によりサハグループを成長させ、タイ王国を代表する総合企業グループとしての地位を不動のものとした。タイ工業連盟理事、タイ投資委員会顧問、タイ副首相顧問を歴任し、今日に至るまで同国の経済界に重きをなしている。とりわけ日本企業のタイ王国進出を助け、両国産業界の結びつきを強めることに大きく貢献してきた。
また、氏は、優れた経営者として手腕を発揮するに留まらず、サハグループが掲げる「多文化の融合、友好と善意の促進、幸福を求める自由」という社会貢献の理念に基づき、日タイ両国の教育分野においても多大なる貢献を果たしてきた。 氏の教育を通じた社会貢献への熱意は、日本語教育機関「ワセダエデュケーション・タイランド」の設立という形でも結実しており、現在ではタイ王国で最も質の高い日本語教育を行う学校のひとつとして高い評価を得ている。

名誉博士学位とは
※顕彰状はこちら


【芸術功労者表彰:三木卓氏】
 1935年5月13日東京市生まれ。1955年早稲田大学第一文学部文学科露文学専修に入学、五木寛之らと同人誌「文学組織」で活動、かたわら詩作を開始して若い詩人たちと交友した。卒業後、長く編集者として働き、そのかたわら詩や評論を書き続けた。堀川正美・高良留美子ら実力ある若手のグループの雑誌「氾(はん)」「詩組織」に参加、1966年、31歳の時、第一詩集『東京午前三時』を思潮社から刊行、翌年詩壇の登竜門であるH氏賞を受賞、1970年には第二詩集『わがキディ・ランド』を刊行し、第1回高見順賞を受ける。戦中の満州体験、戦後の引揚げ体験に根ざす小説を書き始め、1973年、雑誌「すばる」に発表した短篇『鶸(ひわ)』で第69回芥川賞を受賞する。
 その後も精力的に執筆活動を続け、1989年に芸術選奨文部大臣賞、1997年に谷崎潤一郎賞、2000年に読売文学賞、2006年に毎日芸術賞・日本芸術院賞恩賜賞など多くの賞を受けた。また2007年には、日本芸術院会員にも選ばれている。
 氏は、稲門出身文学者として常に戦後の詩壇・文壇に重い位置を占め、詩・小説・童話・翻訳・評論と諸分野で多彩な活動を続けている。早稲田大学の文学伝統を継承するとともに、日本の現代文学に独自の重量感ある文学世界を形成してきた。

芸術功労者表彰とは PDF
※顕彰状はこちら


【スポーツ功労者表彰:川淵三郎氏】
 1936年12月3日に大阪府高石市(現)生まれ。1957年に第二商学部に入学後は1年次からア式蹴球部にてレギュラーの地位を獲得し、2年次には日本代表に選抜された。4年次には日本サッカー協会から日本代表強化の一環としてヨーロッパ遠征に派遣される。大学卒業後は古河電工に入社し、同チームの主力選手として活躍する傍ら、日本代表の一員としてオリンピックを目指し、1964年の東京大会ではベスト8に入る原動力の一人として貢献した。
 1988年にJSL総務主事就任後、日本サッカー強化のためにプロ・リーグ立ち上げに奔走し、1991年のJリーグ創設(同チェアマン就任;1993年開幕)を実現した。招致に尽力した2002年ワールドカップ日韓大会が成功裡に終了した後、日本サッカー協会会長に就任。キャプテンズ・ミッションズという重点施策を掲げ、サッカー界の改革に取り組んだ。2006年には第56回国際サッカー連盟(FIFA)総会において、日本人として2人目のFIFA功労賞を授与されている。
また、氏は都道府県サッカー協会を整備・法人化し、運営の健全化、情報公開を推進するとともに、代表選手試合、Jリーグ等で獲得した収益を充当し、地方協会を核とする地域総合スポーツ事業の振興・地域社会の活性化、青少年の育成等に尽力している。

スポーツ功労者表彰とは PDF
※顕彰状はこちら

以 上