2009年度学部入学式 総長式辞

News
2009年4月1日


 本日、ここに2009年度学部入学式を挙行するに当たり、新入生ならびにご参列いただきましたご家族や関係の皆様方に対し、早稲田大学を代表いたしまして、心よりご入学のお祝いとお慶びを申し上げます。世界のあらゆる地域から選りすぐられた、このような大勢の俊英をお迎えすることができたことは、大きな喜びであります。本日、はれて早稲田大学の一員となられたわけですが、まず最初に、早稲田大学とはどのような大学であるのか、そしてそこに身を置くことになった皆さんが、何を成さねばならないのかということについてお話ししたいと思います。


 早稲田大学は1882年(明治15年)、新しい日本を創る人材を育成するために、大隈重信によって創立されました。その基本理念とは、「早稲田大学は学問の独立を全うし、学問の活用を効し、模範国民を造就する(地球市民の育成)を以って建学の本旨と為す。」という『教旨』に集約されています。以来、早稲田大学はこの3つの核になる理念を“三大教旨”とよび、我々の変わらぬ指針としてまいりました。学問とはいかなる既成概念や制約にも制限されることのない自由な活動であり、国家や宗教や信条さえも超越することができる、自由な人間の活動です。逆に言えば、自然科学、哲学、歴史学など様々な普遍的で新しい学問を組み立て続けているのが、人類であります。また、独立した学問を持つということは、独立した人格、自由な個を確立するということです。早稲田大学がこれまで持続的に先進性を持ちえているのは、この「学問の独立」という建学の精神を堅持しているからであります。今、世界中が未曾有の経済危機に陥り、100年に一度と言われるような混迷の状態が続いています。本学草創期の明治初期の日本も、同じように大変動の時代でした。先に来る時代がどのようなものか予知しがたい場面です。このような時に一番重要なのは、学問を学んで自分で考える能力を高めることであります。今、申し上げたように学問を学ぶということは、人類の歴史や現代社会に通ずる普遍的な考え方、高い価値観を身につけることを意味します。そして、重要なのは、それを現実の問題に果敢に適用していくことであります。高い価値観は必ず人類社会のために努力する行動を生みます。つまり、現在のような危機や変革の中では、往々にして人間のすばらしい個人的能力や集団の協調が発揮されるのですが、その前提として深い知識と共に、それを運用できる訓練すなわち自分で考えられる力とコミュニケーション能力が不可欠となるのです。困難な状況にあってこそ、力を発揮するのが早稲田の学生であると私達は確信していますし、世界中の人々も早稲田人にそう期待しています。是非皆さんには世界のリーダーとして、人類・社会のために資するという使命感を持つ人材に育っていただきたい。それが大隈さんの言う早稲田で学問を学ぶことの意味です。


 ここで本学の理念を体現した、最も象徴的な本学の卒業生を紹介したいと思います。先の戦争末期まで遡りますが、その人物とは、リトアニアの日本領事館の領事代理であった杉原千畝です。杉原は外務省の命に背いて、独自の判断でリトアニア領事としてビザを発給しました。そのビザによって6,000人以上のユダヤ人が、アメリカ等へ脱出することが可能になって命を救われました。後にリトアニア政府は杉原の功績を讃え、首都ヴィリニュスの通りの一つを「スギハラ通り」と名づけています。決して権威だけには捉われず、常に思いやりの心を持ち、一人の人間として自由に深く考え判断することの重要さと、それを実行する勇気を示してくれている「命のビザ」という有名な話です。


 もう1つ戦時中の話ですが、皆さんは昨年公開された『ラスト・ゲーム』という映画を見たでしょうか? この映画は1943年の「最後の早慶戦」といわれた「出陣学徒壮行早慶戦」をめぐる人間劇を描いたものです。当時、東京六大学野球、特に早慶戦は、世間の圧倒的な注目を浴びていました。しかし戦火が高まるにつれて、「外来のスポーツ」である野球自体が弾圧を受け、1942年の秋季リーグをもって、六大学野球は文部省に解散させられました、そして翌1943年9月、時の東条英機内閣は「在学徴集延期臨時特例」を決定し、理工系・教員養成系を除く文科系の大学生の徴集延期を停止しました。これが世に言う「学徒出陣」であります。さらに1944年には徴兵年齢が20歳から19歳に引き下げられるなど、学生が自由に学問を修める場が、どんどん狭められてゆきました。学徒出陣が間近に迫るなか、「最後にもう一度早稲田と試合がしたい」という野球部員の要望を受けた、当時の慶應義塾大学塾長の小泉信三氏が、早稲田の野球部に試合の開催を呼び掛けました。その慶應の依頼を快諾した野球部顧問・飛田穂州らの尽力によって、1943年10月16日についに早慶野球戦が開催されることになったのです。「最後の早慶戦」と今日まで語り継がれる伝説の野球試合と、それをめぐる若者の純粋な思いを描いたこの「ラスト・ゲーム」という映画は、同時に、学徒出陣によって学問への志半ばにして戦地に赴かざるをえなかった若者の悲劇を静かに訴えかけています。「最後の早慶戦」から5日後に「出陣学徒壮行会」が実施され、若者達は戦地に向かったのです。そして、二度と帰還できなかった野球部員も多かったのです。三番レフト近藤清も特攻により戦死しました。今、早稲田キャンパスにある二号館で大学史資料センターによってこの早慶戦に関する展示が行われています。是非御覧になってください。新入生の皆さんは己の興味の赴くところ、自由に学問を選択し学問を修め、自分の未来を選択できる権利を享受できるという、幸せをしっかり自覚していただきたい。


 今、私は早稲田大学の先人の足跡として「命のビザ」あるいは自分の学問もまた自分の期待する生き方も許されなかった厳しい経験として、「ラスト・ゲーム」の話をいたしましたが、その真意は、なによりもまず一つは他者の助けや支配なしに自分の力で物事を考え、実行できる”立つ”という字の「自立」を、皆様にも早稲田の生活で確立していただきたいということです。もう一つは、高い自由を亨受している皆様には、地球市民として、強い倫理観を持ち、自分の立てた規律や規範に従って行動するという意味で”律する”という字の「自律」が要求されるということです。皆さんには、この2つの「じりつ」を実現してもらわねばなりません。


 

 杉原千畝と早慶戦に関係した人々の行動には、正にこの二つの「じりつ」がありました。グローバル化した現代がその時と比べて必ずしもより容易な時代というわけではありません。ところが近年の学生をみると、グローバル化社会という巨大な動きの中で「じりつ」できず、行動は狭くなり、視野においても近視眼的でさえあります。昨今、世の中を騒がせている薬物(大麻)の使用について一つ取ってもそうです。ご存知のとおり世界的にみると、法律的扱いは天と地の差があります。薬物の使用禁止についてそれほど厳格でない地域もあれば、所持しているだけで死刑になる地域もあります。このような問題も地球上の一つの問題として大局的にとらえ、しっかり自己を確立して、自分を律するべきことの卑近な例となるでしょう。


 大隈さんは言われています。「高く跳ばんと欲すれば深く学ばざるを得ず」。2つの「じりつ」を肝に銘じて、これからの4年間の学園生活で、皆様の精一杯の青春を実現していただきたい。そして、自由の府である早稲田大学において、知的探求する喜びを満喫してほしいのです。そして、学問の独立という早稲田大学の精神を、皆さんの体の中に染み渡らせてもらいたいと思います。



 最後に皆さんの健闘を期待して、私の式辞といたします。
 早稲田大学入学、本当におめでとう!


2009年4月1日(水)
戸山キャンパス・記念会堂において