Waseda Weekly早稲田ウィークリー

「時代をつくる、言葉とサブカル」次代を穿つ「毒」の言語化 宮沢章夫×吉田靖直(トリプルファイヤー)対談

演劇や音楽、映画、小説など表現活動はもとより、人間の生活と密接に結びつく「言葉」を巡って行われた、劇作家で早稲田大学文学学術院教授の宮沢章夫さんと、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)をはじめとするバラエティー番組にも出演し、ユニークな世界観の歌詞が魅力のバンド「トリプルファイヤー」のフロントマン吉田靖直さん(2011年第一文学部卒)の対談。前編では、それぞれの言葉との出合いから始まり、定型的な言葉に対する違和感や、表現を巡る「恥ずかしさ」にまで話が及びました。後編となる今回は、時代による言葉の変化や、SNSがもたらす言葉の可能性などについて話が発展。果たして現代において、言葉が持つ可能性はどこに向かうのでしょうか?

左から、トリプルファイヤー・吉田靖直、劇作家・宮沢章夫。

ー吉田さんの作品や言葉には、ナンセンスかつシュールな世界が広がっています。「共感百景」(テレビ東京系)でも、<おれの話には パズドラをやめさせる力がない(お題:スマホ)><向こうの席に移った途端 水を得た魚のようだ(お題:飲み会)>など、その実力は遺憾なく発揮されていますね。どのような発想からそんな世界が生まれてくるのでしょうか?

吉田
まず、歌詞を書くときは「バイトの作業に意味を見出せない」とか「パチンコに熱中している人の悲しさ」といった根幹のテーマとなるものを見つけます。ただ、それをそのまま言ってもうっとうしいし、面白くない。「これくらい滑稽なことなんだよ」「客観的に引いた目線から見るとすごくばかばかしいことなんだよ」っていう視点から歌詞を書くのが、自分にとってリアルだし、実感に近くなるんです。

あと、ある瞬間に思っているけど、口に出したら気まずい空気になりそうで言えなかった言葉は、できるだけ忘れないようにしています。「共感百景」でもそれが役立ったことがありますね。

ー言葉を使う上で、こだわっている部分はありますか?

吉田
キメのポイントを用意して「ここ面白いでしょ!」というカタルシス(※心の中にたまっていた感情が解放され、気持ちが浄化されること)を用意するのは苦手ですね。よく分からないことをずっと言い続けているという方が自分はやりやすい。面白いポイントを、分かりやすく示すより、同じことを繰り返しやり続けて「何なんだこれ!?」みたいな場所に到達する方が性に合っていますね。

ーお二人は、言葉を使う上で、それぞれどんな作品や作家に影響を受けたのでしょうか?

宮沢
僕は、劇作家の別役実さん(※早稲田大学出身。鈴木忠志氏らとともに「早稲田小劇場」を創設し、劇団名と同名の喫茶店の2階の小スペースで活動を行っていた)ですね。別役さんは戯曲だけではなく、『虫づくし』『道具づくし』(ハヤカワ文庫NF)といったエッセイもすごく面白いんです。

ー別役さんの『道具づくし』では、平安時代に流行した口中遊具「したすさび」、かゆいところをかく快感を味わうための手具「はだなだめ」といった空想の道具を、あたかも実在したかのようなリアリティーで描いていますね。

宮沢
僕がエッセイを書き始めたのは1980年代の半ばだったと思うんですけどね。当時は、作家の椎名誠さんやイラストレーターの南伸坊さんの書く文章が注目されていた時代でした。「昭和軽薄体」と呼ばれて、いわゆる、礼儀正しいというか、節度を保ったというか、文法にかなったような文章から逸脱し、まるで乱暴な話し言葉のような文体を生み出したころです。特に椎名誠さんの影響は強かった。『さらば国分寺書店のおばば』とか、『哀愁の街に霧が降るのだ』とか、柔らかくて読みやすい文体は一世を風靡(ふうび)しましたね。ライターのみんながまねをしたんですよ。雑誌に文章を書くっていうのは、椎名誠のように書くってことだったんだから。

そんな中、別役さんは「したすさび」なら、「枕草子の『おかしきもの』のくだりに『したすさびの歯にあたりて、ことことと音のすなる』という一節がある」というように、固い文体を用いながら、本当にくだらないことを書いていたんです(笑)。その真面目さと不真面目さの落差が好きでしたね。それに僕は影響されたっていうか、椎名誠さんのことはすごいと思っていましたが、そのエピゴーネン(※亜流)たちが、ばかに思えたんですね(笑)。ま、みんなその後、書かなくなりましたけど。それをやっちゃいけないという思いで、別役さんのように、きちっと書くことを心掛けていました。

ーでは、吉田さんはいかがでしょうか?

吉田
大学3〜4年のころから今のような歌詞を書こうと考え始めました。その頃、学校では哲学を専攻していて、哲学者の永井均さんによるニーチェ(※ドイツの哲学者。主著に『ツァラトゥストラかく語りき』など)についての本などを読んでいたんです。それによって、善悪の見え方が変わり、これまで見ないようにしていたことに目を向けるようになっていきました。

ートリプルファイヤーの原点にニーチェがいたんですか!?

吉田
まあ(笑)。町田康さんの小説や、お笑いコンビ「ジャルジャル」のコントもよく見ていましたね。ジャルジャルは、哲学的な感じがして刺激を受けました。

ー宮沢さんが出演し、書籍化もされたテレビ番組『ニッポン戦後サブカルチャー史』(NHK)をひもとくと、サブカルチャーの変遷とともに、その言葉も大きな変化を遂げていることが見えてきます。戦後の日本では、どのような経緯で言葉が変わっていったのでしょうか?

宮沢章夫『NHK ニッポン戦後サブカルチャー史』/NHK出版

宮沢
例えば、1976年に刊行された『全都市カタログ』(宝島社)を読むと、大真面目に「地球とセックスをしたい」など、ものすごいことが書いてあります(笑)。いきなりすごいこと言い出したな、この人はまた、とかね(笑)。あるいは、元々はジャズ評論家で、大量の映画を観て、ミステリー小説を読んで、そうした該博(がいはく)な知識を基にエッセーや批評を書いていた植草甚一は、例えば『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』(晶文社)というタイトルの本を出しています。

それはそれで、70年代の半ばだったかな、とても影響力がありました。植草さんが書く文章が魅力的でしたし。それで最近、ちょっと気が付いたんですけど、「〜しよう」って付けると、みんな植草さんの本のタイトルになるんですよ(笑)。例えば、「天気がいいからパクチーを食べよう」でもいいんです。「風呂に入った後は風邪を引かないように気を付けよう」でもいいんです。この植草文体の強靱(きょうじん)さはすごいでしょ。みんな植草さんになる(笑)。

それらには、70年代の空気が反映されていますね。それ以前、というのは60年代になりますが、その時代の言葉は、政治運動が盛んだったこともあり、極めて晦渋(かいじゅう)だったし、ある種の詩的さも感じられました。全共闘運動の時代の東大の教室には「連帯を求めて、孤立を恐れず」という落書きがあったくらいですからね。

ーその後、80年代には急速に言葉が軽くなっていきます。先ほどお話に上がった「昭和軽薄体」をはじめ、80年代初頭には西武百貨店のキャッチコピーとして、糸井重里さんが「不思議、大好き。」や「おいしい生活。」〔※『日本のコピー ベスト500』(宣伝会議)で第1位に選出〕といった名コピーを生み出していますね。

宮沢
その背景には、まだバブルは始まっていなかったけれど、どこか幸福な時代性があったんじゃないかな。どこまでも日本が経済成長を続けていくんじゃないかという希望があった。糸井さんのコピーが全盛を極めたのは、おそらく、糸井さん自身も気が付いていなかったと思いますが、そういった時代の気分とうまくシンクロすることができたからでしょうね。
 
例えば、60年代に寺山修司は『書を捨てよ、町へ出よう』(角川文庫)という評論集を出しています。この言葉は刺激的ですよね。寺山修司らしく短いフレーズだけで多くのことを喚起する。それまでの近代的な理性や理知的な思想から逃げ出し、もっと人間の根源みたいな場所へ出て行けというアジテーション(※扇動)です。

つまり、反知性主義、反近代主義的な態度ですね。理性を捨てて街へ出ることによって、そこで出合った体験によって人は成長をする。それが60年代的だったんですね。っていうと、素っ裸で街を走るみたいな感じですけど…(笑)。実際にいたんですよ、ストリーキングという行為をする人たち(笑)。それこそ、素っ裸で街を走る。それはそれでいんだけど(笑)、「書を捨てよ、町へ出よう」という言葉に煽(あお)られて、家出した若い人たちがかなりいた。寺山修司の言葉はそれほど影響力を持ってたんですね。町へ出て行くことで、何かに出会う。見つける。そうした体験によって人は成長をする。それが60年代的な思想の一側面だったんだと思います。

一方、1988年に糸井さんがファッション・ビル「PARCO」の広告のために書いたコピーは「本読む馬鹿が、私は好きよ。」でした。これすごく面白いですよね。寺山修司の「書を捨てよ」という60年代的な反知性主義から、ぐるっと一巡りして、もう一つ別の知性主義について考えている。60年代は、ある意味「本を読む」というのが当たり前の時代だったんですね。繰り返しになりますが、それを前提に寺山修司は「書を捨てよ」という言葉で知性主義を否定し、「町へ出よう」で、身体的に何かを獲得しろって言ったんですよ。

ところが80年代は、「本を読む」ような、「馬鹿」が出現したらしい(笑)。というか、「本を読む」のは「馬鹿」のすることらしくて、しかも、それが「好き」な「私」がいるんですよ(笑)。この時代性の違いはすごいでしょ。寺山修司の「書を捨てよ」という60年代的な反知性主義から、ぐるっと一巡りして、もう一つ別の知性主義について考えている。その後90年代になると、また変わってゆくけど、80年代ってなんだったんでしょうね?

ー当時は「ニューアカ」と呼ばれたポストモダン思想が流行した時代です。そんな時代の空気を捉えた言葉だったんですね。

宮沢
確かに、「ニューアカデミズム」と呼ばれた時代の傾向が生まれて、浅田彰さんや中沢新一さんが注目されましたね。他にもいろいろあるわけですが、最近になって気が付いたんですけど、80年代の中でもとりわけ象徴的なのが1986年という時代だ、ということです。その年の4月に、チェルノブイリの原発事故がありました。同じ月に、当時大人気だったアイドルの岡田有希子が投身自殺をし、時間はさかのぼりますが、2月には中野富士見中学の生徒がいじめを苦にして自殺してしまう事件が発生しています。

岡崎京子の『東京ガールズブラボー』(宝島社)という作品は、80年代を語る上でとてもいい資料だと思ってよく取り上げていたんですよ。その時代と、時代の空気や気分を見事に描いています。札幌に住んでいて、当時の『宝島』とか『オリーブ』といった雑誌を読んでる女子高生がいる。だから、やたら東京の情報に詳しい。事情があって東京に引っ越すことになる。すごく期待するわけですよ、東京に。でも住んだのは巣鴨でした(笑)。憧れるって感じはよく分かる。僕もそうでしたから。

『東京ガールズブラボー』はコメディータッチで描かれた作品ですが、その最後のコマの言葉で、札幌に戻った主人公が美術大学を受験して合格し、また上京したのが1986年だと分かる。なぜ、岡崎京子はラストをその年にしたのかすごく興味が湧きますね。想像に過ぎませんが、岡崎さんは、バブル崩壊までつながる疾走感の「始まり」とともに、ある「終わり」が1986年にあったと、意識的か無意識にか、それを分かって書いていたと思えるんです。

岡崎 京子『東京ガールズブラボー 』/宝島社

ー中野富士見中学の自殺事件については、先ほど名前が上がった別役実氏も『ベケットと「いじめ」』(白水Uブックス)で書いていますね。

宮沢
後に有名になった「いじめ」の一つに「お葬式ごっこ」がありました。中野富士見中学でいじめを受けていたS君が登校すると、自分の机に、遺影と花瓶の花、そしてお悔やみが書かれた色紙が飾ってある。この「お葬式ごっこ」から、別役さんはまず最初にこの事件を分析し、いくつか不可解な点を指摘するんですね。何より、なぜ花をすぐに準備できたのか。あらかじめS君が遅刻するなんて誰も分かってないんですよ。さらに遺影のような、黒い縁取りを施したS君の写真がある。そして死を悼む言葉が書かれた色紙がある。だとすると、それを用意した誰かがいるはずですよね。ところがこのあたりの行為が曖昧(あいまい)なんですよ。そして、S君の反応も不思議です。

こうした出来事が起こった場合、近代劇だったらどんな方法でそれを描いたかを考えてみると、「お葬式ごっこ」の奇妙さが改めて分かるんですね。近代劇っていうと、なんだかむつかしそうですが、単純にドラマだと思ってもらえばいいんです。例えば『金八先生』なんかの学園ドラマだったら、こんなことが起これば、まずS君は「誰だ! こんなことしたヤツは?」と怒り出すはずなんですよ。すると、一番後ろの席にいた不良グループの1人が、「俺だよ」って言うんですね(笑)。学園ドラマだったら絶対にそうなんですよ(笑)。それでS君が「なんでこんなことするんだ」と詰め寄り、不良グループとの対立が生まれる。それで今にも殴り合いが始まるってとき、間に入って「やめなさいよ!」って止めに入る者がいる。誰だと思いますか? これはね、近代劇だったら、決まって校内一の美少女のクラス委員なんです(笑)。そう決まってるんですよ(笑)。そうじゃなきゃいけないんです、近代劇は。

しかし、実際の事件ではそんなことは起こらなかった。少し遅刻して教室に入ってきたS君は、自分の机のおかしな状態に気が付いて、「俺が来たら、こんなことやってやんの」とおどけてみせる。そして周囲もにやにやしているだけだった。

ー当然起こるはずの感情的な対立が起こらない…。今でこそそんなしらけた反応も理解できますが、当時は違和感があるものだったんですね。

宮沢
いや、人との関係の在り方として別役さんはこの出来事を取り上げたんだと思います。「シラケ」というのは70年代に入ってすぐの社会的な気分を表現したものですが、何より分からないのは、誰が、何を目的に「お葬式ごっこ」の段取りをしたかです。何しろ、S君が、「俺が来たら、こんなことやってやんの」と言った後、教室にいる生徒たちはただにやにやしていただけですからね。

別役さんはこれを、新しいドラマツルギー(※作劇法)として分析するんですね。近代劇までの演劇は、何より、「主体」があった。ギリシャ悲劇にしろ、シェークスピアの作品にしろ、神や王のような絶対的な存在があった。そして近代劇では、ごく普通の人間にもドラマがあることが発見されて、そこに新しい「主体」がある。

じゃあ、「お葬式ごっこ」はどうだったかって考えると、「主体」がいないんですね。つまり、悪意の主体がないということです。ひどく悪意のこもった状況なのに、「実際に対象を傷つける」行為としては、何も起こっていないかのように見える。近代劇は、「個人」の発見でした。ところが、86年の時点で、その「個」が、「孤」になっていると、この出来事から別役さんは、人と人の関係を分析する。ここにも、ある時代の終焉(しゅうえん)を予兆するものが潜んでいるんじゃないでしょうか。

ー吉田さんはまだ20代で、大学を卒業してから数年しか経っていません。近年の、特に若い人の言葉というものを、同世代としてはどのように捉えているのでしょうか?

吉田
例えば「それな〜」とか言うじゃないですか。そういった言葉遣いについていけていない自分はもう、ちょっと古い人間なんだろうなと感じます。音楽をやっている20代前半の人のTwitterなんかを見ていると、同じ世界に生きているはずなのに、言葉遣いが違う世界を生きているように感じることがあるんですよね。
宮沢
新しいものとして紹介される言葉はありますが、多くの場合は一過性で、根本的にはあまり変わっていないような気もしますよ。「女子高生の流行語」なんかもたいていすぐに更新されていって、廃れてしまいますよね。ここんとこ、「ほぼほぼ」って使うじゃないですか。この間驚いたのは、芝居の手伝いに来ていた若い人が話をしていて、男がね、不意に「それって、ほぼほぼ、あるあるだよね」って言ったことですね(笑)。すごいでしょ。何言いたいのか、うまく理解できない。こうなるともう、宗教書の難解な言葉ですよ。

ー変わっているように見えるのは、言葉そのものではなく、あくまでも表層でしかない、と。

宮沢
例えば80年代にはね、すごく笑ったのは、もうそのころには死語になっていた、「ナウいヤングの熱気でムンムン」という言葉を使う人がいたことだよね(笑)。もう誰も、そんな言葉は使わない時代ですよ。だいたい「ナウいヤング」がおかしいしね(笑)。「ヤング」だってそのころ、もう誰も使ってなかったですよ。しかも、熱気が「ムンムン」ですからね(笑)。はやりの言葉って、吉田さんが言った、「かっこつけたバンド名」と同じじゃないかな。すぐ、恥ずかしくなる。「かっこいい」も難しいですね。

「かっこいい」という概念を表す言葉は、例えば70年代だったら、今出てきた「ナウい」って言い方があった。だけど、すぐに廃れましたね。じゃあ「やばい」という言葉はどうだろう。 一過性の言葉の中にも、その後残る言葉は確かに存在します。それが少しずつ言葉を変化させていると思いますが、でも本質的に言葉そのものが変わっているのかというと、そうではないような気がするんです。

ー言葉と時代という意味では、ネットにおける言葉についてはどのように考えていますか? 例えば、ネットのニュース記事では「○○を知る3つの方法」といったような、極めて記号化された言葉遣いが並び、Twitterでは、人を罵倒するような乱暴な言葉が散見されますが。

吉田
やはり定型文のような言葉に対する違和感はありますね。「こう言っとけば喜ぶだろ?」という上からの視線で言葉が与えられている感じがして、とても腹が立ってしまうんです。だから、そういうものは意地でも見ないようにしています。

でも一方では、この定型文のような、あるいはマーケティングに裏付けされた“広告代理店的な言葉遣い”に対して、僕を含め多くの人がだんだんと「しんどさ」みたいなものを感じているのではないでしょうか。定型的な言葉ではないもの、あるいはそれをパロディー化してしまうような言葉遣いが今、増えてきていると思います。
宮沢
Twitterをやっていると、よく乱暴な言葉遣いで絡んでこられることがありますね。おまえ、赤の他人のくせに、なんだその言葉遣いはって、腹立たしかったりね(笑)。ただ、そういう人のリプライを読んでいると、逆に、普段は気が弱い人のように想像します。フォロワー1人とかの、さっき、その別アカウント作っただろうって人が大半だし。乱暴な言葉には、乱暴な言葉で反論するんじゃなく、むしろ、ばか丁寧に応対するようにしてます。「そのようにお考えになっても別に結構ですよ」とかね。

ただ、Twitterの言葉については、まだ考えることはあるでしょうけど、それを考えることに、ほとんど興味はないんです。今年から早稲田でも教えている、津田大介さん(※文学学術院教授)の著書名でもある、「動員の革命」という意味では、すごく伝播(でんぱ)力がありますよね。僕も舞台の告知とかやたら書いてます。SNSの種類によって、それぞれに似合う言葉があるんじゃないかなあ。見事に使いこなしている人たちもいますね。

ー過渡期だからこそ、ネットの言葉に可能性が秘めている、とも考えられそうですね。

吉田
ただ僕の場合、ネットとちょうどいい距離を保った付き合いができないんです。学生時代は自堕落で一日中「2ちゃんねる」を見ているような生活でした。それもあって、今はSNSをなるべく見ないようにしています。

それに、ネットに出回っているものの多くはすでに誰かに評価されている言葉が多いですよね。ネットばかり見ていると、だんだん周囲の情報や圧力に流されて、しまいには「これは自分の考えじゃないのではないか?」と感じてしまうんです。

ーネットやSNSが発達した現代は、数多くの言葉があふれている世界です。そんな中、言葉とはどのような役割を果たすものだと思いますか?

宮沢
ネットとSNSの時代は、膨大な量の情報が流通して、知らないうちに、見たこともないような言葉を目にしたり、耳にしてしまいますね。『ニッポン戦後サブカルチャー史』で、「毒」とか「逸脱」と表現した文化の規定とは、また異なる種類の言葉があふれています。言葉は、無自覚でいると、いつのまにかすーっと入ってきますね。すごく危険にも感じますし、実際、危険な言葉もあるでしょうが、文化なんてそんなものです。言葉が本来持っている性格のようにも感じます。最初に話したように、人は言葉を通じて世界を見ています。

たぶん吉田さんのような世代だったら、サブカルチャーという「毒」との出合いが、新たな可能性を生み出すのかもしれません。やはりそこでも、表現やカルチャーである以上、「触れる人に新たな発見を促す」意味では、もやもやしたものを言語化することは欠かせないんでしょうね。

カルチャーの世界のみならず、研究者や広告クリエイターも、これまでさまざまな言葉やその使い方を生み出して、もやもやしたものを言語化し、新たな概念を生み出してきました。「言語化」という行為は、極めてクリエーティブな振る舞いじゃないでしょうか。今「私」が持っている、知恵や技術を次の時代へ継承する。世阿弥の『風姿花伝』なんて、室町時代に書かれているのに、今の時代の俳優にも読ませたいような言葉であふれてますよ。酒は飲み過ぎるなとかね(笑)。ほんと、役者に読ませたいですね(笑)。
取材・撮影協力:高田馬場・ロマン(☎ 03-3209-5230/東京都新宿区高田馬場2-18-11 稲門ビル M2F)
プロフィール
宮沢 章夫(みやざわ・あきお)
劇作家・演出家・小説家。早稲田大学文学学術院教授。1980年代半ば、竹中直人、いとうせいこうらとともに「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を開始、すべての作・演出を手掛ける。90年「遊園地再生事業団」の活動を始める。93年『ヒネミ』で第37回岸田國士戯曲賞受賞。2005~2013年まで早稲田大学文学学術院にて教べんを執り、2016年より現職。『ニッポン戦後サブカルチャー史』(NHK出版)他著書多数。
吉田靖直(よしだ・やすなお)
吉田(vocal)、 鳥居(guitar)、山本(bass)、大垣(drums)からなる4人組バンド、トリプルファイヤーのボーカル。2011年早稲田大学 第一文学部を卒業。トリプルファイヤーはこれまで『エキサイティングフラッシュ』『スキルアップ』『エピタフ』の3枚のアルバムを発表。 局地的な支持を集め、「高田馬場のJOY DIVISION」「だらしない54-71」などと呼ぶ人も現れる。都内を中心に全国各地でライブを行っている。2017年も、バンドに個人に夏フェスなどに出演予定。
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