Waseda Weekly早稲田ウィークリー

「日本が、父ちゃん、お亡くなりに」劇団SCOT-早稲田小劇場どらま館のルーツ<前編>

ニッポンジンハ ドコカラキテ ドコヘイクノカ

劇団「早稲田小劇場」を率い、寺山修司や唐十郎らと共に小劇場運動の担い手として名をはせていた演出家の鈴木忠志さん(1964年 政治経済学部卒)は1976年、富山県利賀村(現在・南砺市利賀村)に活動の拠点を移し、「SCOT(Suzuki Company of Toga)」を立ち上げました。「利賀(TOGA)」は、“演劇の理想郷”として世界中でその名を知られるようになりました。毎年、利賀村で開催される演劇祭「SCOT Summer Season」には、数千人もの観客が世界中から押し寄せ、限界集落の村は「演劇の聖地」としてにぎわいます。今回の特集は、合掌造りを使った劇場、花火が上がる演劇など、世界でも類を見ないこのフェスティバルの模様を前後編にわたりお伝えします。いったい「利賀」とはどのような場所なのか? そして、そんな場所で40年にもわたって鈴木さんが演劇を続ける理由とは? SCOTの演劇を初めて見たという井本巳仁(みくに)さん(文学部2年、公認サークル「劇団くるめるシアター」所属)の感想とともに、演出家兼ライター・萩原雄太さん(2006年第二文学部卒、劇団「かもめマシーン」主宰。メイン写真左)の筆致でお届けします。

百瀬川に架かるこの橋を渡ると、演劇の桃源郷が現れる

早稲田キャンパス近くにある「早稲田小劇場どらま館」は、2015年4月にリニューアルオープンしました。リニューアル以前は「早稲田芸術文化プラザどらま館」と称されていたこの劇場に、なぜ「早稲田小劇場」という名前が付けられたのか・・・。その経緯を知っている学生はそれほど多くないかもしれません。ここは、かつて早稲田大学で学び、世界的な演出家に上り詰めた鈴木忠志さんらの劇団「早稲田小劇場」が拠点としていた場所なのです。リニューアルに際して、その歴史や功績に敬意を払うとともに、鈴木さんから承諾を得て、再び「早稲田小劇場」という名前が付けられました。

早稲田から利賀村へと拠点を移した鈴木さんは、水戸芸術館芸術総監督、静岡県舞台芸術センター芸術総監督などを歴任。また、下半身の使い方や呼吸法などの身体感覚を習得する訓練方法「スズキ・トレーニング・メソッド」を確立し、世界中の演劇学校のカリキュラムとして採用されるなど、演劇界に深い影響を与える存在です。では、そんな「大先輩」は今、どのような活動をしているのでしょうか?

鈴木さんが活躍した当時の早稲田小劇場(左)と現在の「早稲田小劇場どらま館」

JR富山駅から車でおよそ1時間30分。険しい山道を超えてたどり着いた利賀村は人口わずか500人余りの限界集落。イワナもすむ清流・百瀬川が村内を流れ、山が折り重なる姿はあたかも桃源郷のよう。訪れた当日はあいにくの雨模様でしたが、霧に煙った山の峰は、深山幽谷の趣をたたえていました。

井本
民家が数えるほどしかないこの場所に、鈴木さんの劇団「SCOT」が拠点とする富山県利賀芸術公園はありました。『まさか、こんなところに劇場があるなんて・・・』。演劇関係者でなければ想像すら及ばないことだと思います

しかし、利賀芸術公園には大小7つもの劇場が作られ、夏に行われる演劇祭の期間中には、バスを乗り継いで、国内外から数千人もの演劇ファンが押し寄せています。かつて、寺山修司や能楽師の観世寿夫、ロバート・ウィルソン、タデウシュ・カントルといった歴史を彩る演劇人も、この山奥の村を訪れて作品を上演してきました。

池越しに望む野外劇場

では、いかにして鈴木さんは、この「演劇の聖地」を作り上げたのか。簡単にそのヒストリーを振り返りましょう。

「早稲田小劇場どらま館」が建つ早稲田の地を拠点としていた鈴木さんが、利賀村に拠点を移したのは1976年のこと。今でこそ「瀬戸内国際芸術祭」や「越後妻有大地の芸術祭」などの影響もあり、地方で芸術祭が行われることは珍しくありません。しかし、鈴木さんが利賀村に拠点を構えたのは今をさかのぼること40年前。岩波ホール(※1)の芸術監督を務め、帝国劇場(※2)で上演される作品の演出などを手掛けるなど、キャリアの絶頂を迎えていた鈴木さんが、過疎の村に拠点を移すというニュースは、世の演劇人をあっと驚かせ、鈴木さんいわく「発狂したのではないか」とまで言われたそうです。しかし、そんな外野の声もどこ吹く風。劇団員も半数余りが辞めていく中、利賀村に拠点を移した鈴木さんには強い信念がありました。その理由の一つが、創作環境の問題。東京では、夜中まで使えるアトリエはなく、稽古場として使える場所も限られます。そんな限られた創作環境に嫌気が差し、鈴木さんは利賀へと飛び出していったのです。

※1 開館当時は多目的ホールとして利用されていたが、現在は「ミニシアター」の草分け的な存在として有名。大手興行会社が取り上げない名作を数多く上映してきた。
※2 日本初の西洋式演劇劇場。帝劇(ていげき)の通称で知られる。かつては「日本レコード大賞」の会場としても使用された。

そして、利賀村への移転を決めたもう一つの理由が、村に残っていた合掌造りの集落。岐阜県白川郷、富山県五箇山の世界遺産認定によって一躍有名となった合掌造りですが、40年前は誰も利用する人がいない廃屋と化していました。ここを月2万円で借りた鈴木さんは、この伝統建築をなんと劇場に仕立て上げてしまいます。

井本
私は岐阜県出身なので、幼い頃から何度も白川郷の合掌造りに足を運んでいました。でも、もちろんその中で演劇を見るのは、初めての経験。伝統建築の中で、いったいどのような作品が行われているのか・・・。期待して劇場『新利賀山房』の中に飛び込んでみます

「SCOT Summer Season 2016」のテーマは「日本流行歌特集 ニッポンジンハ、ドコカラキテ、ドコヘイクノカ」です。果たして、その心は?

合掌造りの劇場で見る『ニッポンジン-瞼の母より-』

「新利賀山房」を背に感慨にふける井本さん

井本
『新利賀山房』に足を踏み入れて、まず気が付いたのはその香りです。心地のいいヒノキの香りが漂ってきました。さらに、深い闇をたたえ、重厚な雰囲気を持つ合掌造りは、独特の緊張感に満ちあふれていました

鈴木さんは、かつて劇場についてこう語っています。

「多くの日本の演劇人は、劇場それ自体が、一つの作品だとは思っていない。だから、こういう利賀山房のような空間ができたら、自分の芸術作品の50%はできた、ということです(中略)現代人は明るくして闇をなくしてしまったので、逆に身体が鈍くなってしまっているから、そういう観客にも見てもらいたいと思った。それで(観世寿夫に)『経正』という能を舞ってもらいましたが、利賀山房ではすごくゾクッとするほど気持ち悪いお面に見えた」(『利賀から世界へ No.7』舞台芸術財団演劇人会議)

鈴木さんは、演劇作品だけでなく、劇場までも自分の「作品」として作り上げました。鈴木さんが生み出した闇の中ではこの日、SCOTによって『ニッポンジン-瞼の母より-』が上演され、追加公演も出るほどの盛況ぶりです。幼い頃に生き別れた母を探す「ニッポンジン」という名の博徒の物語で、北島三郎の「仁義」などが流れ、再会した母から冷たく突き放される別れの様子が描かれます。

一体、この深い闇の中でどんな演劇が行われるのか・・・。SCOT初観劇の井本さんは、固唾(かたず)をのんで舞台を見つめました。

一般的にイメージされる演劇は、俳優が自然な動きやせりふ回しで、あたかも日常のように演じるもの。けれども、鈴木さん率いるSCOTの舞台は、そんな日常性とはかけ離れています。劇作家・長谷川伸が1936年に執筆した名作戯曲『瞼の母』を原作としながら再構成されたこの舞台で、俳優たちは地面を震わせるような低い声で発声し、足腰にはぐっと力が込められています。微(かす)かに震える身体からは、そこに宿るパワーが見えてくるかのよう。集中力、精神力、生命力の全てを利用した身体から生み出される緊張感こそ、SCOTの演劇の醍醐味(だいごみ)なのでしょう。

井本
あえて、前情報を入れずに見たのですが、普段見ている演劇作品とは全く異なっていてびっくりしました。俳優の存在感に、ついつい目が行ってしまう。喉を鳴らした音まで聞こえ、張り詰めた緊張感は生半可なものではありませんでした・・・

普段、自分がやっている演劇とは真逆の、その身体性にあっけにとられた井本さんは、食い入るようにその世界を凝視します。「母性」を手掛かりとしながら、鈴木さんが日本人という存在について、徹底的に向かい合ったこの作品。分かりやすい筋ではないものの、観客は、舞台からさまざまなイメージを受け取っていきます。

井本
『家から切り離されて、故郷を想う。故郷が母ちゃんとイコールなんて奴は、ぶっ殺せ』というセリフは耳が痛くなりましたね(笑)。私のお母さんは足が悪くて、故郷を思い出すたびに、いつも母のことを心配してしまいます。公演を見に来てくれるときはピンピンしているんですが、思い出すときの母の姿はいつも弱っているんです
井本
ニッポンジンと母親との葛藤を描いたこの舞台を見ながら、心に自分と母親との関係が浮かんできました。『一体、自分にとって母親とは何なのか?』 普段は思い出すことの少ないそんな気持ちを味わわせてくれる舞台でした
「日本もいつかは死なねばならなかった。このような知らせを一度は聞くだろうと思っていた」

鈴木さんが演出するSCOTの舞台は、明解なあらすじがあるわけではなく、一見するととても難解に受け取られる作品が少なくありません。けれども、実際に舞台を見ていると、ユーモラスな部分も数多く、実はサービス精神にあふれていることがよく分かります。そんな鈴木作品の「分かりやすさ」という側面が一番よく理解できるのが、サマーシーズンの目玉演目である『世界の果てからこんにちは』。合掌造りで上演される演劇が世界で唯一であるなら、上演中に花火が上がる作品も、世界に類を見ないものです。

小雨がぱらつく天気にも関わらず、野外劇場には700人以上の観客が詰めかけます。利賀村の人口・500人と比較すれば、これがどれだけ驚異的な数字かが分かるでしょう。村民はもちろん、東京から、全国から、そして全世界から、この演目を見るために人々が利賀に結集しているのです。

まるでテーマパークで行われるショーのように、豪華な花火が上がり、その鮮やかな光が舞台を盛り上げます。小学生から老人まで、劇場に集った観客は、そのたびに歓声を上げげ、舞台と花火の美しさに驚いたりうっとりとしています。しかし、そんな大スペクタクルだけで終わらないのが鈴木作品の魅力。鈴木さんが「暗いところもある」と前口上で語るように、この演目でもやはりテーマとなっているのは「日本人」という存在でした。数学者の岡潔、小説家の梅崎春生、そしてシェイクスピア、サミュエル・ベケットなどの引用や、小川順子の『夜の訪問者』、美空ひばりの『船頭小唄』といった名作歌謡曲によって描き出される「日本人」。病院を舞台に日本の歴史を振り返り、花火を使って空襲や特攻隊のイメージが再現されます。鈴木さんは、前口上で強いこだわりを示しました。

「いつも『日本人とは何だろう?』『日本の歴史はどんなことを経験したのか』を考えながら舞台を作っています。この作品も、過去の言葉をちりばめながら、人間や社会について考えるために創作しました。特に、日本にはこういう歴史があって今があるということを考える材料を提供するためにつくっているんです」

我々、日本人とは何なのか? そんな疑問を手渡された観客の目の前で、『マクベス』をもじったという「日本が、父ちゃん、お亡くなりに」というせりふに、「日本もいつかは死なねばならなかった。このような知らせを一度は聞くだろうと思っていた」と続きます。

このシーンは、多くの観客の意識に残ったでしょう。そして「歴史にもおさらば・・・」「記憶にもおさらば・・・」というせりふが提示され、舞台は幕を閉じていきました。

井本
花火、流行歌、華麗な衣装・・・。きらびやかな舞台に観客は魅了されながらも、突如として挿入される『戦争に負けて日本が狭くなったのだから、病院も狭くしなきゃならない』といったせりふには、思わずドキリとさせられました

上演終了後は、野外劇場を舞台に鏡割りが行われました。日本酒を片手に、来場者と演者が作品について語らいます。「シアター」の語源となったギリシャ語の「テアトロン」とは、もともと舞台上ではなく観客席を指していました。同じ舞台を見た観客たちが、活発に議論し合う・・・。東京ではあまり見られなくなってしまったそんな風景は、演劇には欠かすことのできない時間なのです。鈴木さんも、その輪に加わりながら積極的に議論に参加していました。そこで鈴木さんにお話を聞こうとしたところ、「早稲田は好きじゃないんだよ」と一喝。「そこを何とか!」と食い下がると、カッと目を見開いた鈴木さんは険しい表情でこう語りました。

「早稲田はもっと大きな世界を見なきゃいけないんだよ。坪内逍遥だってそういう人だった。早稲田の精神はそこにあるんだ! それなのに“小さな世界”に拘(こだわ)っている。お前らどうかしていないか?」

鈴木さんの目に映る早稲田の印象。一気にまくし立てるその弁舌に、返す言葉もありません。確かに、演劇を含めたカルチャーは全般的に、鈴木さんの学生だった時代に比べると、“小さな世界”を取り扱うように変化してきています。もちろんそこには時代的な理由などもあるのですが、頭の中に思い浮かぶそんな理由も、鈴木さんの前ではただの 「言い訳」に過ぎなくなってしまうのは、60年あまりのキャリアが生み出す説得力のなせる技。では、鈴木さんの言う「世界」とは、そして「早稲田の精神」とはどのようなものなのでしょう? 話は<後編>へと続きます。

プロフィール
萩原雄太
1983年生まれ、かもめマシーン主宰。演出家・劇作家・フリーライター。早稲田大学在学中より演劇活動を開始。愛知県文化振興事業団が主催する『第13回AAF戯曲賞』、『利賀演劇人コンクール2016』優秀演出家賞、『浅草キッド「本業」読書感想文コンクール』優秀賞受賞。かもめマシーンの作品のほか、手塚夏子『私的解剖実験6 虚像からの旅立ち』にはダンサーとして出演。
http://www.kamomemachine.com/

劇団SCOTWebサイト
http://www.scot-suzukicompany.com/
日本の、そして世界の小劇場運動の一大拠点に「早稲田小劇場ネクスト・ジェネレーション募金」ご支援のお願い
http://www.waseda.jp/student/dramakan/donation/index.html
早稲田小劇場どらま館Webサイトへのリンク
http://www.waseda.jp/student/dramakan/index.html
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