Waseda Weekly早稲田ウィークリー

「誰も知らない“ “是枝先生”」インタビューVol.1 いかにして是枝監督は先生になったか

映画ばかりで友達もいなかった大学時代 教授としての出席日数は当時をとうに超えました

世界的映画監督・是枝裕和の“ 先生”としての顔に迫る連載第2回は、ここから計2回にわたり、授業の合間をぬって行われた監督本人のインタビューをお届けします。前編となる今回は、映画漬けだった早稲田大学在学中の思い出と、「先生として母校に戻ってくるなんて思いもしなかった」と語る教壇に立つようになったきっかけ。さらには潜入ルポでも食い入るように見つめていた“今の学生”についての考察も語っていただきました。

――是枝教授は早稲田大学第一文学部文芸学科を卒業されていますが、学生時代から映像監督を目指されていたのですか?

最初は小説家、物書きになりたくて文芸学科を選んだんです。でも大学は、物を書くことについて何かを教えてくれる場所ではないということに気付いて、すぐに毎日、映画を見るだけの生活に。昔から映画やテレビが好きではありましたけど、映画館に通い詰めたことで、いっそう映画が面白くなり、「脚本を書きたい」と思っていた気がします。いや、当時19、20歳で考えることなんてもっと曖昧なんで。まあ映画が面白くて、取りあえず毎日映画を見ていただけですね、大学時代は(笑)。

――学内にも足を運ばなかったのですか?

そうですね、ほとんど。清瀬の実家から高田馬場まで来て、映画を見て、学食で安くカレーを食べて、また映画を見に行ってました。当時、高田馬場には「ACTミニシアター」という会員制のシネクラブがあったんです。年会費1万円でフリーパス。そこに毎日いましたね。

――どんな映画をご覧になっていたのでしょうか。

とにかく何でも見ていましたよ。フェリーニやトリュフォーもまだ現役でしたし、銀座の名画座「並木座」でも黒澤明や小津安二郎、成瀬巳喜男、溝口健二をよく見ました。好きな映画監督もいましたけど、ちょうど僕が早稲田に入学した1980年前後に、向田邦子と山田太一と倉本聰と市川森一という脚本家たちの脚本集が立て続けに出版されたんです。全30冊に及ぶ倉本聰コレクションもあって、文学部の生協に平積みになってたんですね。第1巻目が『前略おふくろ様』で、中学のときに見ていたドラマだったから、まあ、ハマった。毎月1冊ずつ読むのが楽しくて仕方なかったんです。だから映画というよりも、その時期の脚本やドラマのほうが、むしろ自分の中に強く残っていますね。

――そんなにドラマや映画がお好きでしたら、映画サークルなどに入られても。

いや、入らなかった。みんなで同じスタジャン着るなんて耐えられないなと(笑)。ああいうの嫌いだったんです。だから、学内に友達もいなかった。唯一、映画館で仲良くなった文学部の学生がいたくらいです。だから教授になったこの2年間のほうが大学に来てる。教授としての日数の方が、当時の出席日数をはるかに超えましたよ(笑)。それを思うと、今の学生は真面目に授業に出てくるからびっくりしますね。僕の大学時代は、学校で物を教えているという時点で、先生たちはあんまり信用できないなと思っていましたから(苦笑)。ただし卒論の担当をしてくれた映画史研究者の岩本憲児さん(早稲田大学名誉教授)には、非常に感謝しています。卒業後も交流がありますしね。

大学は企業予備校なんかじゃない 卒論は中身より脚注を褒められた

――ちなみに卒論というのは、何を書かれたんですか?

創作脚本です。歌舞伎十八番の一つ、『景清』を題材にした時代劇を書きました。今考えると、なぜそんなものを書いたのかよく分からないし、内容も大したことない。大したことはないんですけど、脚本以上の長さの演出ノートをつけたんですよ。「このシーンはどう演出するか」とか「このカットはあの映画が元になっている」などの脚注を。

――まさに映像監督の視点からの脚注ですね。

そうですね。岩本さんには、脚本の中身より演出ノートが面白いと褒められました(笑)。

――ということは、卒論の時点ではまだ脚本家を目指されていた。

うーん、どうなのかなぁ。就職をろくに考えていなかったことは確かです。5年生になってやっと、いきなり脚本家や映画監督にはなれないと気付き、「じゃあテレビの世界に行くか」と思ってメディア塾のようなものに通い出したんです。でも、放送局を受けようと思ったころは、とっくに各社内定が出ている時期。仕方なく映像制作会社のテレビマンユニオンを受けたんです。

――自由闊達(かったつ)な大学時代を過ごされましたね。

よく言えばですけどね。ただ今の大学は、在学中に資格を取ってインターンして……と、大学を企業予備校的に捉えがちな学生が多い。それに関しては「なんちゅうもったいないことを!」と思いますね、せっかく大学という自由な場に来ているのに。それは大学も悪いと思いますけどね。文系学部を削って理系を増やし、すぐお金になることを求める国家になびいている気がして。そんなことで、国は豊かにならないと思いますよ。

監督はなぜ先生になったのか?「30年遅れの、映画サークルの部長です」

――そんな教授を信用せず、授業を受けず、映画館に入り浸る早大生だった是枝教授が、今、早稲田で教鞭(きょうべん)を執っているというのも不思議ですね。

それはですね、僕の前任者の安藤紘平さんに言葉巧みに連れて来られたからです。なんなら、だまされたと言ってもいい(苦笑)。「早稲田で映像を教えてみないか?」と誘われて3回断ったんですけど、安藤さんが「しっかりサポートするから、取りあえず2年やってみて、それで嫌なら辞めてもいい」とおっしゃるのでお引き受けしたら、いきなり丸投げされて……。今に至ります。まさか自分が先生として母校に戻ってくるなんて、思いもしませんでしたね。でもなんか年を追うごとに早稲田が好きになっていってる気もしていて。箱根駅伝とか見てると、気づくとえんじ色のタスキを応援しているんですよ(笑)。

――そして今年、当初お約束されていた2年間を過ぎ、3年目を迎えました。お辞めにはならなかった。

そう、いざやってみたら楽しいんですよ。去年も学生と一緒に映画を作ったんですが、それこそ30年遅れでサークル活動を楽しんでいる感じです。自分が部長の映画サークルを(笑)。たしかに、大学の授業を持つと本業のペースは遅くなりますが、学生と付き合うこと、自分の仕事を言葉にして語ることは、決してマイナスにはならない。だから続けているんでしょうね。

――では、是枝教授が着任されたとき、学生にまず伝えたいと思われたことは何でしたか?

映画やテレビというのは面白いんだ、ということですね。自分でそれを読み解いていく楽しさに触れ、リテラシーをどう豊かにしていくか。基本はそれですね。

――具体的には、どういった講義内容を?

例えば「映画から学ぶ映像表現」の授業では、“ 映画と子ども ”をテーマに、子どもたちがどのように映画の中で演出されているかを解説します。10年前から立命館大学でもテレビをどう読み解くかの授業を持っているので、そこでやってきたことが早稲田の授業にも生かされていますね。一番時間がかかるのは、去年から始まった「映像制作実習」。シナリオの書き方、撮影の基礎知識を教え、去年は学生を4グループに分けてフィクション映画を撮ってもらいました。今年はノンフィクションものを書いてくる学生もいるんじゃないかな。

――「映像制作実習」は、現役の映画監督が教えるからこその授業だと思います。手掛けられて、どうお感じですか?

大学は映画の専門学校ではないので、傑作を撮ることが目的ではない。映画製作を通して、何を学ぶかのほうがむしろ大事。履修学生も映像業界を目指している子や映画好きの子は、3分の1程度ですし。単位取るために出てる学生もいるんじゃないかな?(笑)

学生には「見方」を身に付けてもらいたい そのためにはまず、歴史を知ること

――でも授業を受けるうちに、映画やテレビの魅力にハマっていく。

うん、そこは面白いんですよ。昔のテレビ番組を見せると「ああ、テレビがこんなに面白い時期があったんだ」とみんな驚く。中でも60年代のドキュメンタリーでは、当時のベトナム反戦の番組を放映すると、自民党の圧力が掛かって現場のキャスターが辞めさせられる事件も起こっていて。50年前のテレビが、今の時代と非常にパラレルにリンクしているんですよ。テレビ番組とそれをめぐる政治状況を含めて語っていくと、現代がどういう方向に向かおうとしているかも分かり、僕自身も勉強になる。学生にもそういう発見があってくれたらいいなと思っています。

――先ほども学生との触れ合いが面白いというお話がありましたが、そこで是枝教授が得られるものは?

当たり前だと思っていたことが、彼らにとって当たり前じゃないことが分かります。テレビがどう見られているか、映画が彼らにとってどういう存在になりつつあるのか。それは、実際に話してみなければ分からないことでした。

――例えばテレビは、学生世代にとってどんな存在でしょうか。

テレビは完全にオールドメディアなので、ほとんど見ないし信用していない。でも信用していないと言いながら、実は自分たちの行動を大きく左右しているのは、テレビからの情報だということにも気付いていない。そういう感じはありますね。

――映画についてはいかがですか?

見ている量は人それぞれで、昔の僕のように年間300~400本見る子もいれば、100本の子、ほとんど見ない子までさまざまですが、一番欠けていると思うのは、作家の過去作や歴史をさかのぼらないこと。昔の作品を見なくなっている。文学もそうだと聞きますが、歴史に対する意識が希薄なのは話していて感じます。昔の映画がいくらでもレンタルできる時代ですし、環境は整っているけど逆に何を見ればいいのか分からない、ということらしいですね。

――目の前の追うべき情報が多すぎるから、でしょうか。

正直分からない。ただ映画・映像に関わる身としては、「見方」を身に付けてもらうためにも、歴史は意識させなきゃいけないと思います。作家の過去作を知るだけでなく、テレビの歴史をさかのぼればラジオに行き着き、映画はさかのぼれば写真に行き着くという“DNA”を知ることは、表現をどう読み解くかを知ることに通じる。映画も、ここ数年の作品だけでは何も語れないし、作れないです。だから歴史を知ることは必要。僕もそういう授業を心掛けてはいますね。

プロフィール
是枝 裕和(これえだ・ひろかず)
映画監督。1987年早稲田大学第一文学部卒業。2004年、『誰も知らない』が第57回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、主演の柳楽優弥氏が史上最年少の14歳で最優秀男優賞を受賞。『そして父になる』(2013年)では、第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門審査員賞受賞。2014年4月、早稲田大学理工学術院教授に就任。2015年は『海街diary』が同映画祭同部門に正式出品された。最新作『海よりもまだ深く』が2016年5月21日より公開。


『海よりもまだ深く』
2016年5月21日(土)丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー他 全国ロードショー
©2016 フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ

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