Waseda Weekly早稲田ウィークリー

社会で生き延びるための「演劇的発想」とは?

出合いは最悪だった!?元・文学少女が語る演劇の第一印象

海外と日本の演劇シーンを接続するプラットホームを築いてきたアートプロデューサー・相馬千秋さん(1998年第一文学部卒)と、批評家としてさまざまな演劇作品を言語化してきた佐々木敦さん(早稲田大学文化構想学部非常勤講師)。前編では演劇との出合いから現代日本の演劇を取り巻く諸問題に至るまで語り尽くしました。

実は「大学で演劇の授業を受け持っている」という共通点のある2人。話は次第に演劇を教える意義へと移っていきました。一般には「趣味の領域」と見なされがちな演劇ですが、2人は意外にも「人生の役に立つ」と考えているようで…?

左から、相馬千秋さん、佐々木敦さん
佐々木
日本における現代演劇で注目される存在がどういうところから出てくるかというと、実は大学の演劇教育が出発点になっていますよね。一時期までは日本大学芸術学部と桜美林大学の出身者がすごく多かった。
相馬
あとは京都造形芸術大学ですね。
佐々木
でも、僕の見聞の範囲ではあるけれど、ここ数年は立教大学の現代心理学部映像身体学科と多摩美術大学の上野毛キャンパス(美術学部演劇舞踊デザイン学科)が人材を輩出しているように思います。それは「どういう教員がいるか」という話とつながってくる。相馬さんは、まさに立教大学映像身体学科の先生ですよね。何を教えているんですか?
相馬
私が教えているのは、一言で言うとドラマトゥルギーですね。「演劇的な発想を活用して、自分が生きる世界で応用する方法を開発する」ということです。私の前任者は、演劇を都市に拡張する作品を作っている高山明さんで、その前はダンサーで振付家の勅使河原三郎さんでした。つまり、バリバリの表現者が教員として教える学科でした。でも、私が入ったタイミングでパフォーマンス研究をされている江口正登さんも教員として入られて、演劇・ダンス・制作(プロデュース)・理論と、バランスが取れている状態なんです。

私はいわゆる「制作」って授業で教えてもしょうがないと思っています。それはアートに限らずどんな仕事に就いても嫌でも学べるし、実践ベースじゃないとあまり意味がないから。じゃあ何を教えているか。2018年度はアイスキュロスのギリシャ悲劇『縛られたプロメテウス』とチェルフィッチュの岡田利規さんが現代語訳した能『松風』『卒塔婆小町』を読み、それを自分が演出・プロデュースするためのドラマトゥルギーを導き出して、実際に一部をグループで創作して発表するところまでやってもらいました。
佐々木
学生は何人ぐらいいるんですか?

立教の相馬ゼミで『松風』を上演している様子

相馬
ゼミの一学年で10人から20人弱います。授業について補足すると、私は具体的な演出技術を教えられるわけではないので、それは学生に勝手にやってもらっているんです。でも、演出の出発点は戯曲を読み、「なぜそれを今ここで上演するのか」「どのように演出するのか」という問いを立てることですよね。その問いがない演出は、作品になっていきません。学生一人一人が問いを導き出す作業は、演出というよりドラマトゥルギーを構築する仕事です。それを試行錯誤しながら体験してもらっています。

例えば、ある授業では、ギリシャ悲劇の『アンティゴネー』を扱ったんですが、まずはソポクレス(※1)の原作をみんなで声に出して読むんです。次にベルトルト・ブレヒト(※2)版の『アンティゴネー』を同様に読んで、次にストローブ=ユイレ(※3)が撮った映画『アンティゴネー』を観る。興味がない人はそのあたりで脱落していくんですけど…。 ※1 古代ギリシアにおける三大悲劇詩人の一人。同作以外に『オイディプス王』という代表作がある

※2 ドイツの演出家・劇作家。代表作は『三文オペラ』。「異化効果」などの演劇理論でも有名

※3 ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレの2人による共同映画監督の名称。企画から配給に至るまで権利を保持し、妥協せず制作を行うことで知られる
佐々木
めっちゃ面白い授業じゃないですか! ストローブ=ユイレでは、みんな寝ちゃうと思うけど。
相馬
次にようやく、松田正隆さん(マレビトの会)がF/T12で上演した『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』のコンセプトを紹介し、「福島以後にアンティゴネーをやるなら、こういう置き換え方もあるんだよ」と話していく。それぐらいになると、ハマる人はハマるんですよね。最後に発表するときは、表現するメディアは何でもいい。演劇でなくてもいいんです。どんな表現にもドラマトゥルギーは必要だから、まずそれを構築する作業をやっているつもりです。
佐々木
「ドラマトゥルギー」という言葉にはいろんな意味合いがあるけれども、相馬さんが教えていることの核心は、つまり「劇が持っている精神」ですよね。文化・芸術を大学で学ぶとき、「単に趣味を広げることにしかならないんじゃない?」という指摘は、それを職業にするのでない限り、どうしても出てくると思うんです。

そういう考え方は大学教育の中でも、あるいは一般的な文脈の中でも強まっている気がして。表現者にならなくても、ドラマトゥルギーを学ぶことは必ず役に立つ…それは事実としてそうなんだけれど、理解してもらうのは難しい。そういう問題があるようにも思います。
演劇は、作り手だけでは成立しない
佐々木
演劇教育についてもう少し広げると、ここまで意外にも平田オリザさんのお名前が挙がっていないんですよね。オリザさんは「青年団」を主宰する劇作家で、演劇教育に極めて熱心な方です。彼はいろんな形で舞台芸術のヨーロッパモデルを日本に輸入しようとされてきたわけですけれど、その一つが演劇教育だと思います。演劇のインサイダーを育てると同時に、演劇に関わるわけではない人にも演劇の意義を伝える。それはかなりの成果を上げていると思います。でも、演劇と教育の交点にはまだまだオルタナティヴな可能性があると思う。

「オルタナティヴな可能性」と言うと?

佐々木
最近よく聞く話に「文化・芸術に関する大学の教員が実作者ばかりになっている」という問題があります。でも「演劇」というものは、作り手だけでは成立しないんですよね。作り手の環境を整理する人たちも必要だし、研究者だっていた方がいいし、そもそも観客がいなければどうしようもない。じゃあ、どうやって観客を創造するか。学生時代に演劇の教育を受けて、演劇を観るようになって、大学を出たあとも働きながら時々演劇を観に行き、それによって何か得る…これはすごく豊かなことだと思うんですよね。

それを考えたとき、プロデュースやマネジメントをする立場である相馬さんが教員をなさっていることは、とても重要だと思います。「プロデュースする」ということは、半分は観客側なわけですよね。僕はさらに距離が遠くて、いち批評家です。まさに「自分は観客だ」と思っているわけです。
相馬
プロの観客ですね。
佐々木
いやプロじゃないですけどね(笑)。映画でも観客だし、小説でも読者だし、音楽でもリスナーだし…という意識が強くて、それについて考えたり書いたりすることを、僕は「批評」と呼んでいる。それと相馬さんが「ドラマトゥルギー」という言葉に込めておっしゃったことは、ある部分ではすごく重なると思います。
相馬
そうかもしれないですね。
佐々木
僕が早稲田の客員教授だったときは、ずっと演劇の授業をやっていました。2018年からは、立教でも演劇の授業を担当しています。それは全部同じやり方です。大抵の学生は演劇を観たことがないから、DVDなり何なりでただ単に見せていくんですよ。とにかく見せて、ちょっと解説する。一般教養の授業としては、とにかく「入り口を開く」ってことが圧倒的に重要なんです。

Scene/Asiaワークショップの様子 シアターコモンズ'18  撮影:相馬千秋

授業中は寝ている学生もいるけれど、学期末にレポートを書かせるとすごく反応がいいんですよね。今まで演劇に全然興味がなくて、偶然授業を取った人の方が「こんなものがあるんだ」と面白がってくれる。「自分でもお金を払って観てみよう」と足を運ぶ学生が、僕が予想していたよりもはるかにいます。「手応え」とまでは言わないけど、授業をやっている意味はあるのかな、と。
相馬
私は作品を作る立場ではないですけど、プロデューサーとして「今このタイミングで、この作家にこの戯曲をやってもらう」と企画するのは、広い意味では表現だと思っていて、「表現にもいろんなアクセスがある」と示したいんです。

学生もそれぞれに個性があって、志向性が違っています。だから、それを一つの作品にまとめあげることはしないと決めているんですね。平田オリザさんは、一つのワークショップの型があって、その中でみんなが作っていくというやり方をされていますよね。
佐々木
オリザさんは基本的に、作り手を育てるのがメインですからね。
相馬
これは「どちらが良い、悪い」という話では全然なくて、単純にアプローチの違いだと思います。私は「作り手を育てる」というより、「演劇的な発想を使えば、誰もが問いや違和感を持って、それを自分の外へアウトプットする回路作りができるんだ」と示したい。

だから、私のゼミの卒業制作は一人一作品なんですけど、それでもみんな、何とか作るんです。なぜかと言うと、自分がすごく違和感を抱いていることや一番好きなこと、一番リアルに思っていることを出発点に問いを立てているからなんです。表現する技術は拙いとしても、自分自身の中にある問いを深め、ある種のドラマトゥルギーを構築していけば、それなりに面白いものが作れるんです。
アウトプットの形はシンポジウム、ワークショップ、演劇作品、映像作品とバラバラですけど、「その人にとって必然性のあるメディアでいい」と思っていて。全てを「演劇」という既存のフォーマットに落とし込むのは、教育の暴力や弊害だという気もします。

私自身も「演じろ」と言われたら、すごく嫌なんですよね。それは自分の表現手段ではないので。でも、何かしら別の形、例えば「文章に書く」ならばできる。その子が見ている現実というものは、特定のフォーマットに収まりきらないものだと思うので、出口をバラバラにしておくことは大切だと思っています。
「大学時代」というモラトリアムの過ごし方で生きやすさが変わる

「演劇と教育」という観点から見たとき、お二人にとって早稲田とはどういう場所ですか?

相馬
屈折した何かがありますね、私には。暗い思い出しかよみがえってこない(笑)。でも振り返ってみると、ハングリー精神を植え付けられたのはよかったです。私は第一文学部でしたけど、入っていたオーケストラは体育会みたいでキツかったし、少人数の授業もなくクラスでも仲良くもなれなかったし、花開けなかった感じがあるんです。でも、そのときの鬱屈した思いが、その後の人生に役立ちました。佐々木さんはどうですか?
佐々木
早稲田って歴史的にも演劇と深い関係があるはずなのに、それを強く意識することがなかったんですよね。僕が早稲田で教えるようになって、10年以上になります。授業でいろんな現代演劇を紹介したとき、興味を持って反応してくれる学生は、演劇活動をやっている人とイコールじゃないんです。

これは演劇に限らない話かもしれないですけど、「自分で表現するのが楽しい」あるいは「それを仲間と共有することが楽しい」という気持ちが強くなってしまうと、学生時代はサークル活動を通して表現しても、就職した後は一切やらなくなってしまったりする。学生時代には同じ演劇サークルの先輩が活躍していれば観に行くかもしれないけど、他の劇団には興味がない。自分で演劇をやっている人と、同時代の演劇に興味を持つ人が、重なっていない印象を受けるんですよね。

確かにそういう傾向はありそうですね。

佐々木
僕はいろんな劇団のアフタートークに呼ばれたりするけど、早稲田の学生から「観に来てください」と言われたことは、10年間で2回くらいしかないんですよ。「そんなこと言わないで見せてよ」と言っても、ふわっとした感じで逃げられる(笑)。ある時期の大学生は、他人からの評価をできる限り避けようとする印象があるんですね。

授業で発表させても「これは個人の考え方でしかないんですが…」みたいなエクスキューズを付ける。そうやってあらかじめ防衛的になるのは、自己承認欲求の裏返しなのかなと思っています。大学内での活動が「他人からの評価にさらされずに済む」というユートピア的な状況としてあるような気がするんですよ。
相馬
今の話を受けて早稲田の良さをあえて語るとすれば、「美大じゃない」ってことだと思います。美大だと、表現者であることが大前提で、創作物が強制的に評価にさらされるじゃないですか。でも早稲田には「自分は観客です」と言い切る自由がある。私が通っていた頃の早稲田には斜に構えた人が多くて、授業にも来ないし、何者でもないのに、みんな文句ばかり言っていました。そういう、ある意味尊大で自由な態度で表現と向き合える時期はすごく限られているんですよ。そうして「批評する側」と「批評される側」を両方経験していける。
岸田國士戯曲賞を受賞した劇作家の神里雄大さんや、「かもめマシーン」という演劇カンパニーを主宰する演出家の萩原雄太さんのような人たちも、そういう早稲田の時間があったからこそ出てきた才能じゃないかなあと。必ずしもはじめから器用に作品を作れるタイプである必要はないんですよね。
佐々木
僕が早稲田で教えていて仲が良くなる学生は、4年で卒業しないか、ストレートには就職しない人が多いんですよ。今はそんなことないと思うけど、「大学時代」というモラトリアムを無駄に過ごすという伝統が、この大学にはあったと思うんですよね。

これは他の大学ではあまり推奨されないけれど、少なくとも早稲田には「学生時代を無為に過ごした人が、後に何者かになっていく」という歴史があるじゃないですか。実際には逆で、「この人は学生時代どうだったんですか?」と聞いていくと、「いや、ダラダラしてましたよ」みたいな話になるんですけどね。そうやって過ごせるのは、ある種の豊かさでもある。
相馬
私が教えている立教の映像身体学科では、演劇関係に就職する人はあんまりいないんですね。大学で演劇を学んだ子たちが、一般企業で普通の仕事に就いて、数年後に「本当にこれでよかったのか」と思い悩む。そういうとき、大学生活で学んだことをうまく使えるといいなと思っているんです。

立教の相馬ゼミで新座・朝霞界隈をリサーチツアーしている様子

と言うのも「演劇」をうまく着脱できれば、現実を批評的に見られるからです。例えば普通の会社員として働いていて仕事で追い詰められたときでも、一歩引いて自分の世界を捉える力が演劇にはある。演劇的な距離感を持って、ある種の虚構性を身にまとうことができたら、生きやすくなる部分は絶対にあると思います。
佐々木
大学が就職で結果を出すようになってくると「就職さえできれば専攻は何でもいい」という学生が出てくるけど、僕は別にそれでもいいと思っていて、「単位なんて欲しければあげるよ」という感覚があります。でも何人かの卒論を指導している今、ちょっと違うことを感じていて。卒論だって、提出しさえすれば通るんですよ。ただ、その結果は本人に跳ね返ってくるんですよね。文章を書く仕事に就かなければ、卒論ほど長い文章は二度と書かないかもしれない。でも、一生に一度、自分が思ってもいなかったようなレベルの論文が書けたとしたら、その経験は絶対自信になる。
これは卒論に限った話ではないと思います。「学びたい」と思えばいろんなことが学べるモラトリアムを過ごした後、何を持って社会に出ていくのか。それは相馬さんが「ドラマトゥルギーは役に立つ」と言っているのと同じことだと思います。

それを意識した結果、僕の場合は「ワケの分からない音楽を聴かせる」ってことになったりするんだけど、専門領域を持たない批評家にできるのは、そういうことだと思うんです。そこからちょっとでも何か得るものがあれば…まあ、それが功を奏しているかどうかは分からないけど…。

あの、実はそろそろお時間なんですが…。

相馬
…えっ! まだ考えていることの2%くらいしか話せてない!
佐々木
あと5時間は余裕で語れますよね(笑)。続きはまたどこかで!
プロフィール
佐々木 敦(ささき・あつし)
1964年生まれ。批評家。早稲田大学文化構想学部非常勤講師。1995年に編集者の原雅明と「HEADZ」を設立。海外ミュージシャンの来日公演を主催し、音楽雑誌『FADER』やジャンルレスな濃縮雑誌『エクス・ポ』の編集・発行を行う。芸術文化の諸ジャンルを貫通する批評活動を行っており、『新しい小説のために』(講談社)、『筒井康隆入門』(星海社新書)、『未知との遭遇(完全版)』(星海社新書)、『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶應義塾大学出版会)、『批評時空間』(新潮社)、『シチュエーションズ』(文藝春秋)、『即興の解体/懐胎』(青土社)、『ニッポンの思想』(講談社現代新書)など著書多数。
相馬 千秋(そうま・ちあき)
1975年生まれ。アートプロデューサー。立教大学現代心理学部特任准教授。早稲田大学第一文学部卒業。リュミエール・リヨン第二大学院修了。国際舞台芸術祭「フェスティバル/トーキョー(F/T)」初代プログラム・ディレクターを務めたのち、NPO法人・芸術公社を設立。2017年より「シアターコモンズ」実行委員長兼ディレクターに就任。演劇、美術、社会関与型アートなどを横断するプロジェクトのプロデュース、キュレーションを国内外で多数手掛ける。2018年より「あいちトリエンナーレ2019」舞台芸術部門のキュレーターも務める。

シアターコモンズ’19
2019年1月19日・20日、2月22日-3月13日、東京都港区エリア各所で開催。
https://theatercommons.tokyo/
演博の開館90周年を記念した企画展の図録『現代日本演劇のダイナミズム 現代日本演劇のing』。本特集に登場した佐々木さん、相馬さんが寄稿されるほか、文学学術院教授で早稲田小劇場どらま館芸術監督の宮沢章夫氏、演劇ジャーナリストの徳永京子氏による論考や、劇作家・演出家である佐藤信氏と「ゲッコーパレード」代表の黒田端仁氏の対談、書評家・豊崎由美氏と劇団ロロの主宰・三浦直之氏の対談など、そうそうたる面々が名を連ねる。
https://www.waseda.jp/enpaku/publication/7759/
取材・文:橋本 倫史
1982年生まれ。『en-taxi』(扶桑社)や『マンスリーよしもとPLUS』(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)に寄稿し、ライターとして活動を始める。2007年、リトルマガジン『HB』を創刊。2019年1月下旬、筑摩書房より初の著書となる『ドライブイン探訪』が刊行される。また、「Web本の雑誌」にて、建て替えが予定されている那覇市第一牧志公設市場を取材した「市場界隈」(http://www.webdoku.jp/column/shijo/)を連載中。
撮影:加藤 甫
編集:萩原 雄太、松本 香織、横田 大(Camp)
デザイン:中屋 辰平、PRMO


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