創部1924年 / 体育各部1924年公認
【男子部】
1924(大正13)年の創部以来、早稲田大学ア式蹴球部は常にサッカー界をリードし、数々の日本代表選手を輩出してきました。
【女子部】
「ピッチの中では泥臭く、ピッチの外ではエレガントに」をスローガンに、切磋琢磨しながら練習に励んでいます。
サッカーの別名である「アソシエーション式フットボール」の略称を部名に掲げて1924(大正13)年に創部した。この年より早慶定期戦、早関定期戦が開始され、戦中の中断を挟んで現在まで続けられている。敗戦の荒廃の中からいち早く復興を遂げ、1966(昭和41)年には天皇杯全日本選手権で優勝。関東リーグ、全日本大学選手権も制する三冠を達成し、その中心にいたのが釜本邦茂である。関東リーグで3回の優勝、4年連続の得点王。日本代表でも国際Aマッチ歴代最多75得点の偉大な記録を残した。時を同じくして日本サッカー界の中心が実業団になっていったため、天皇杯優勝は大学勢で最後の快挙である。
釜本の大活躍後、日本サッカー界は停滞期を経て、Jリーグ誕生とともに加速度的に発展していく。その立役者となった初代チェアマンの川淵三郎はア式蹴球部の出身。岡田武史、西野朗と日本代表監督も相次いで輩出し、両者は共に日本のワールドカップ最高位となるベスト16の成績を残している。ロンドンオリンピック日本代表を率いた関塚 隆も二人の後輩だ。21世紀になってからは部としても安定した成績を残していて、 2018(平成30)年に関東1部リーグで最多となる27回目の優勝。その主力だった相馬勇紀はJリーグや東京オリンピックで活躍し、カタールワールドカップでの出場が期待されている。
1991(平成3)年には女子部も創部され、実績を積み重ねている。全日本大学女子選手権と関東1部リーグの優勝は各7回に上り、大学女子サッカー界を牽引する存在。2022(令和4)年にも大学日本一を飾ったばかりで、2016(平成28)年からの3連覇以来の連覇に目が離せない。
※2022年度発行『早稲田スポーツ125周年記念誌』より
石井 昌幸(スポーツ科学学術院・教授)
男子部:兵藤 慎剛
女子部:後藤 史
男子部:伊勢 航(社会科学部)
女子部:田頭 花菜(スポーツ科学部)
男子部:北村 公平(文化構想学部)
女子部:大庭 愛叶(人間科学部)
138名 (2023年12月現在)
東伏見サッカー場
男子部 | |
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2月 | 春合宿 |
3月 | 第94回早関サッカー定期戦 |
4〜6月 | 第91回関東大学サッカーリーグ戦 2部 前期 |
7月 | 第68回早慶サッカー定期戦 |
6〜7月 | 総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント |
8月 | 夏合宿 |
9〜11月 | 第41回総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント 第91回関東大学サッカーリーグ戦 2部 後期 |
12月 | 第66回全日本大学サッカー選手権 |
女子部 | |
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2月 | 始動 |
3月 | |
4月〜12月 | 関東女子サッカーリーグ戦 |
5~11月 | 関東大学女子サッカーリーグ |
8月 | 夏合宿 |
9月 | 第43回関東大学女子サッカー選手権大会 |
11月 | 第43回皇后杯全日本女子サッカー選手権大会 |
12月 | 第30回全日本大学女子サッカー選手権大会 |
男子部:原則月曜以外の週6日
女子部:原則月曜以外の週6日
男子部:2万円(入部金)12万円(年間部費、別途合宿費等)
女子部:2万円(入部金)12万円(年間部費、別途合宿費等)
早大紺碧寮
川淵三郎
1961(昭和36)年卒。2浪の末に入学し、ア式蹴球部で関東大学リーグを3回制した。引退後は Jリーグ創設に尽力し、初代チェアマンに就任。日本サッカー協会会長、名誉会長など歴任し、キャプテンとして日本サッカー史に名を刻む。釜本邦茂
1967(昭和42)年卒。関東大学リーグで優勝3回、4年連続得点王を獲得し、天皇杯全日本選手権も制覇。メキシコシティオリンピックではアジア人初の得点王の活躍で銅メダル獲得に貢献。早稲田スポーツ功労者を受賞。西野 朗
1978(昭和53)年卒。現役生のころから日本代表に選出され、日立製作所でプレーした後に現役引退。J1監督最多の通算勝利数(270勝)を誇り、ロシアワールドカップでは日本代表監督としてベスト16に導く。岡田武史
1980(昭和55)年卒。同好会を経て入部し、ユニバーシアード日本代表に選出される。現役引退後、日本代表監督として辣腕を振るい、フランスワールドカップで初出場、南アフリカワールドカップでベスト16の功績を残す。原 博実
1981(昭和56)年卒。強靭な体格を活かしたプレーで在学中から日本代表に選出され、国際Aマッチ37得点は釜本に次いで日本代表歴代2位の記録。Jリーグで監督を務めた他、JFA技術委員長や常務理事、Jリーグ副理事長など歴任。関塚 隆
1984(昭和59)年卒。在学中はフォワードで名を馳せ、日本サッカーリーグで新人王とベストイレブン。川崎フロンターレで監督の実績を残し、ロンドンオリンピックではU-23日本代表監督を務めて44年ぶりのベスト4に導いた。相馬直樹
1994(平成6)年卒。在学中にバルセロナオリンピックのアジア予選に出場。4年時に全日本大学選手権で優勝し、ベストDFに選ばれた。卒業後は鹿島アントラーズに加入。フランスワールドカップでは全3試合に出場した。齊藤俊秀
1996(平成8)年卒。ユニバシアード福岡大会で主将として優勝に貢献。清水エスパルスで新人王を受賞、フランスワールドカップ日本代表に選出。2018(平成30)年から日本代表コーチを務め、「サムライブルー」を支える。徳永悠平
2006(平成18)年卒。現役生としてアテネオリンピックに出場。4年次には主将を務め、関東2部リーグで優勝して9年ぶりの1部復帰を果たす。ロンドンオリンピックにもオーバーエイジ枠で出場する。相馬勇紀
2019(平成31)年卒。関東2部リーグでアシスト王に輝いた後、名古屋グランパスに入団。東京オリンピック出場を経て日本代表に定着し、カタールワールドカップのアジア最終予選でも活躍し、本大会の代表に選出された。※2022年11月時点
男子部:042‐466‐9755
女子部:090‐3839‐6379