法学部について
学部長より
法学部長就任に当たって早稲田法学に課せられた社会的使命の担い手たれ!
法学学術院長・法学部長 上村達男
このたび加藤哲夫前学部長の後任として法学部長に就任致しました。私は日頃より現在の日本の社会が早稲田大学法学部に寄せる期待の大きさを痛感しております。そうした思いの一端を学生諸君に、また社会に対して披瀝することで就任のご挨拶に代えたいと思います。以下は、もとより、私の当面の個人的見解であることをお断りしておきます。
早稲田大学は2007年には創立125周年を迎えますが、法学部は創立当初より東京専門学校法律学科として大学の歴史とともに歩んでまいりました。早稲田大学建学の精神の一つとして社会的にも有名な「学の独立」「進取の精神」は、早稲田大学校歌にも謳われておりますが、その精神はあらゆる既存の権威を学問の立場において疑うところにあります。しかしその精神を現実社会に生かそうとすれば、当然時の権威との間に摩擦を生じますので、この建学の精神を貫くためには、強靱な精神力と意志の力を必要とします。早稲田大学が政治とマスコミの世界で、あるいは文学の世界で、あるいは在野的精神を有する法曹を輩出することで、時代の権威と距離を置き、あるいは時代の権威を批判し、現実の利害状況を踏まえながらもあるべき理想を高く掲げる姿勢を見せてきたことが、早稲田精神として広く社会の支持を得てきた由縁の一つであり、また早稲田ファンが数多く存在する理由でもあります。
折しも、バブル崩壊後の日本は、明治以来の官僚国家から制度やルールを中心に物事を考えようという発想への転換を強く求められており、そのことは既存の法理や発想の権威が大きく揺らぐ状況を意味しておりますので、まさしく早稲田法学の鼎(かなえ)の軽重が問われているのであります。
日本の近代化は明治維新以後には富国強兵と言われたように軍事力の強化に力点が置かれ、戦後は経済力の強化に邁進して参りました(富国強「財」)。しかしバブル崩壊後の現在の日本は、やはり公正なルールや規範意識に裏付けられた成果でなければ国際的にも国内的にも通用しないことを思い知らされており、いわば富国強「法」ともいうべき国家的課題に直面しております。今日盛んに話題となっている格差社会とは、決して公正な競争の結果生じたものではなく、公正な競争の前提たる条件が欠けているために生じている大きな社会問題であり、その真の姿は法的なセンスなしには捉えがたいものであります。まさしく日本社会における法的なるものの意義と本質が今問われているのです。
第一に、いまこそあらゆる法分野において、新しい学問、理論の構築が最大規模で実施される必要があります。非西欧国家日本は、市民革命や啓蒙思想、その根源にあるローマ法やキリスト教の基礎の上に成立してきた西欧的なる法や規範意識の壁を乗り越えながら、短期間で成熟した市民社会のありかたを担いうるような法のあり方を模索するという、文明史的とも言えるような国家的課題に挑戦していかなければなりません。幸い日本は非西欧国家の中では100年以上にわたって外国法を学び続けてきた歴史の蓄積があり、市民法については相当のレベルを達成してきたように思えますが、今日の最大自由の金融・資本市場、生き馬の目を抜くようなグローバルな状況の変化に時々刻々対応しうるような法的条件の確立とその機動的な執行となると全くの経験不足であり、青葉マークとすら言えるようにも思われます。この未熟な状況が現在日本で急激に生じている不公正な格差の増大をもたらしている可能性がきわめて高いことについては先に指摘致しました。
早稲田大学の法学系スタッフの充実ぶりは他に誇れるものであり、理論・研究面で常に指導的な役割を果たしております。とりわけ、平成15年度に世界的な拠点形成を期待されて採択された早稲田大学21世紀COE(Center of Excellence)は、「企業法制と法創造総合研究所」を立ち上げましたが(http://www.21coe-win-cls.org/)、そこではあらゆる法分野の優れた研究者達が「企業」「市場」「市民社会」の三つのキーワードを共有して分野横断的な研究活動を行っております。もともと早稲田大学の法学系スタッフの研究面での水準には誇るべきものがありますが、こうした重要な拠点の存在を最大に活用することで、新しい法律学を早稲田大学が発信し、創造するとの高い理念に基づく研究活動が日々活発に実施されております。
早稲田大学法学部は、こうした手厚い活発な研究活動を裏付けとした、借り物ではない最新の研究の成果を講義の場に生かすことによってのみ、今の時代にふさわしい本物の大学教育が可能であり、通俗的な権威に阿(おもね)ない有意な人材を輩出しうるとの高い志を有しております。
第二に、法的なる感覚ないし真のリーガルマインドを日本の社会の各層に普及し、自治体・一般企業・金融機関・マスコミ・国際機関等において真の法的センスを身につけた人材を多数養成し、自分の頭で思索し判断し、勇気を持って実行に移すことのできる、本物の市民社会の担い手たる人材を多数輩出し続けるために、法学部の役割はきわめて重要であります。日本では法科大学院の創設に際して、重要な役割を担ってきた法学部の弱体化を招いた面があることは否めません。しかし、日本に欠落した法的なるものを急速に補完するためにこそ、日本だからこそ法学部教育の使命は格別高いのであり、アメリカに法学部がないから日本にも法学部は要らない、という類の無責任な議論は厳しく批判されるべきであります。もっとも、旧来の法学部は、法的なるものの意義がさほど強調されない社会情勢の中で、むしろつぶしの効く人材を提供してきたという面があり、そうした法学部のあり方自体も、真の法的なセンスを身につけた人材の提供を目的とした、真の法学部に生まれ変わる必要があり、そのために法律学の基礎にある思想や哲学、歴史、文学等人文系科目による人間像の把握、法的センスを対外的に使いこなすための、あるいは外国の法的センスを言語で学ぶための語学といった科目の重要性も認識していくべきと考えます。
第三に、このように日本のこの分野での経験不足は、知恵と理論で克服していく必要があり、欧米のように失敗の経験を蓄積させていくゆとりはありません。そうした新しい理論構成を確実に行っていくために不可欠なのは、現に欧米が実施している法的状況を、規定や条文を超えて本質的なレベルで理解しようという新しい比較法の視点を確立することであります。幸い、早稲田大学には全国的にみても異彩を放つ「比較法研究所」を有しているという得がたい利点があります。私は、今、仮に早稲田に比較法研究所がなければ新たに創設しなければならないという程に、新しい比較法研究の重要性を切実に感じておりますので、今こそまさに、比較法研究所の第二の創設期というくらいの気概をもって、比較法研究所を盛り立てていくべきと考えます。条文に書いてない規範意識や市民社会の約束事を把握し、欧米から継受した制度本来の意味と現実の機能を知ることなしに、日本の制度論は成り立ちません。従来多くの政府審議会等で見られたような、欧米の条文との比較一覧表により、日本だけにある制度を廃止することがグローバル化である、といった誤りを繰り返してはなりません。日本にその制度を廃止しうる条件はあるか、欧米にはそうした制度がそもそも不要な社会的条件があるのではないか、その条件とは何か、を常に問い続ける発想が、日本のあらゆる制度論において展開されなければならないと思います。
第四に、こうした新しい学問創造のための模索は、若い研究者が続々と養成されることなしには成り立ちえません。従来の経緯から、今日大方の関心が法科大学院に向けられておりますが、そのことは研究者養成の重要性を高めこそすれ、決して低めるものではありません。むしろ若手研究者に対する需要が今後急速に高まることは容易に予想されます。法学部学生にとって法学研究者への道は、極めて多くの魅力と刺激に富んだ完全な「売り手市場」であります。早稲田大学法学部は、かかる観点から、法学部の研究者志望者のための「相談窓口」を、法学研究科との緊密な連携の下に設置し、早稲田法学の厚みある研究体制を背景に、多くの優秀な若手研究者を育成して参りたいと考えております。こうした社会的意義の大きな事業を遂行していくうえで、法学研究科の果たすべき使命にはきわめて重いものがあります。同じく若手研究者養成に特別の貢献が期待されている早稲田大学21世紀COE企業法制と法創造総合研究所とも協力しながら、この重い社会的使命を担い続けていくべきであると信じます。
第五に、早稲田大学大学院法務研究科による法曹養成は、以上のような早稲田法学全体に寄せられている社会的使命の重要部分を担うものとしても位置づけられるべきでありましょう。それは、新しい学問の動向に敏感で、新しい法実務の形成に強い意欲を有し、法曹としての良心にのみ忠実な独立心旺盛で早稲田らしい法曹の養成であります。
早稲田大学法学部と独立の専門職大学院である大学院法務研究科との協力関係のあり方につきましては、なお多くの議論を重ねるべき課題が存在しておりますが、早稲田法学の総合力の高まりを共有しながら理想の相互補完関係を形成していくべきは当然であります。法律学の素養を十分に積んだ良質な法学部出身者にとって、法曹はきわめて魅力ある選択肢であります。法学部としては、法曹志望の学生に対する十分なケアを心がけ、早稲田大学法学部から多数の個性ある優れた法曹が輩出することを大きな目標の一つとして掲げていくべきであると考えます。
以上、早稲田法学は、法学部、法学研究科、法務研究科、比較法研究所、COE総合研究所の五大拠点の総合力を大きく高めながら、その社会的使命の大きさを強く自覚し、日本の新しい法律学の創造を通じた理想の実現へ向けて力を合わせてまいりたいと存じます。