enpaku 早稲田大学演劇博物館

常設展

常設展示のご紹介

西洋演劇

ヨーロッパ諸国で「演劇」を指す時、英語のシアター、フランス語のテアトル、ドイツ語のテアターなどの言葉がありますが、これらは「見る場所」を意味するギリシア語のテアトロン(theatron)に由来します。西洋演劇の伝統は、優れた悲劇や喜劇、演劇理論が生み出された古代ギリシアに端を発すると言えるでしょう。その伝統は古代ローマに引き継がれますが、キリスト教が勢力を増した中世に一端途絶え、宗教劇が栄える事になります。しかしルネサンス期を中心に、古代ギリシア・ローマ期の演劇が見直され、以後、バロック、古典主義、ロマン主義、自然主義などさまざまな潮流を経て、20世紀には叙事的演劇、不条理劇 、ポストドラマ演劇などが生み出され、現代に至るまで時代の変遷を経てきました。こうした歴史過程のなかでヨーロッパ各国の演劇はそれぞれの特色を育み、また国境を越えて互いに刺激し合いながら、劇作や演出、演技術、舞台美術、衣裳といった表現手法を発展させてきました。

逍遙記念室

この記念室はもとは貴賓室として作られ、逍遙の来館時に使用しました。
室内は、エリザベス朝時代の意匠を取り入れ、天井には逍遙の干支に因んだ羊の装飾がほどこされています。
当時、書棚には、逍遙がシェイクスピアの翻訳に使った洋書などが収められていました。
ここでは、逍遙の多岐にわたる業績を、著書や原稿でたどり、あわせて逍遙の愛蔵品を展示いたします。

民俗芸能

日本の各地では、様々な祭りや芸能が民間で行われています。その多くは、農耕や信仰と密接に関係しており、さらには過去に流行した芸能が取り入れられて地方で独自に定着しているものもあります。そうした祭や芸能は、時代や社会、また、芸能に関わる人々の生活や意識の変化に影響を受けて、地域に根差す特色が生み出されてきたといえます。

東洋演劇

東洋では古来から様々な芸能が存在していました。仮面劇や影絵芝居などは、長い歴史をさかのぼると、元来は祭祀の一環として行われていたものが多く、それらは次第に祭祀性を薄め、物語性を強めることで演劇として発展しました。ヒンドゥーの神々、三国志の英雄たち、封建社会の支配者階層を懲らしめる庶民の物語が演じられる東洋の演劇には、各地の文化を背景とした恐れや憧れ、そして願いが込められています。

古代・中世

古代の日本では中国大陸との交流が盛んでした。7世紀には伎楽・散楽・舞楽などの外来楽が伝わり、大和朝廷によって保護されます。
一方、大和朝廷の国家統一により、東遊・久米舞・吉志舞などの各地の国風の歌舞が中央に集められ、外来楽とともに行われました。
新興勢力である武士が権力を握った中世には、新しい芸能が次々と誕生します。
平安時代の民間芸能の中から、猿楽と田楽が台頭し、寺社の保護のもと祭礼に奉仕していました。また、世上の人気と新たな支配階級の支持を得て、日本独自の仮面劇である能が大成されます。能は語り物の発達を背景に物語性を獲得し、幽玄美を理想とする高度な芸術性を確立しました。
延年・松囃子・念仏踊・平曲・曲舞・幸若舞・説経・千秋万歳などの芸能が登場したのもこの時代です。

近世

戦乱の時代から泰平の時代へと転換した近世には、新しい庶民芸能が生まれました。歌舞伎と人形浄瑠璃は、それらを代表する近世の芸能です。歌舞伎は、慶長8(1603)年に出雲のお国と称する女性が、京都で見せた「歌舞伎踊」を最古の記録としています。
また、室町時代末期から既に語り物としてあった浄瑠璃は、当時の新しい楽器三味線を取り入れ、夷舁と称する操り人形とも結び付いて、新たに人形浄瑠璃を形成しました。
どちらの芸能も、京都・大坂・江戸の三都を中心に発達し、それまでの芸能には見られない常設の芝居小屋が建てられ、興行がおこなわれるようになりました。今日のように、いつでも芸能を観て楽しめる環境が整ったのです。

近代・現代

近代日本の演劇は、欧米の文化を急速に取り入れることから始まりました。まず当時の政治や世相を批判した壮士芝居が人気を博し、新派劇が形成されます。さらに作品の舞台を日本に置き換えた翻案ものも新派で次々と上演されました。一方、明治末には文芸協会・自由劇場によるシェイクスピアやイプセンの翻訳上演を期に、新劇運動が展開します。1911(明治44)年には日本初の本格的な西洋式劇場である帝国劇場が開場。
こうした欧米文化移入の時代を経て、大正から昭和初期には、新派・新劇・新国劇・喜劇・軽演劇・少女歌劇と多様な演劇が花開きます。第二次世界大戦中、統制下にありながらも、移動演劇が各地を巡演しました。終戦後、各劇団は本格的に活動を再開。60年代に入るとアングラ・小劇場演劇が台頭し、空間や演技の面で現代演劇は大きな転換期を迎えます。同時期に土方巽によって創始された暗黒舞踏は現在では国際的にも高い評価を受けています。

映画・テレビ

19世紀末の誕生以来、映画は世界各国の多様な演劇と相互に刺激しあいつつ、文化的発展を遂げてきました。日本人が撮影した現存最古の映画であり、2009年には映画初の重要文化財にも指定された『紅葉狩』(柴田常吉撮影、1899年)が、日本演劇史に偉大な足跡を残す9代目市川團十郎・5代目尾上菊五郎らの舞台姿の記録である事実は、演劇と映画の密接な結びつきをよく示すといえます。新国劇の創立者澤田正二郎や1920年代のハリウッドで活躍した上山草人ら、坪内逍遙の文藝協会から巣立ち、映画界にも重要な貢献を果した演劇人も少なくありません。
1953年に放送が本格化したテレビもまた、先行する演劇や映画の遺産を継承しつつ、独自の発展を見せました。近年、演劇博物館ではテレビドラマにも力点を置いています。大河ドラマ『花神』(1977年)のうち、現存しないと思われていた2話分の映像を発見するなど、新たな成果を着実に発信しています。

※常設展「映画・テレビの部屋」は、5月13日(土)からの企画展「大テレビドラマ博覧会」へ模様替えしています。