小野講堂

小野講堂施設概要
小野講堂について
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小野記念講堂は、本学の学術研究・教育、文化・芸術の成果を内外に示す拠点施設のひとつとして、 7号館にあったものを移転し、とりわけ「文化活動の成果を発表し、さらに世界の文化と交流を図るためのホール」を具現化した施設です。 開かれた大学として、周辺地域も含めた一体的な交流の場として提供していきます。 |
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付属施設
貸出備品
いす(青) |
いす(黄) |
長机 |
演台 |
花台 |
立看板 |
めくり台 |
傘立て |
サインスタンド |
パーテーション |
ポールパーテーション |
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情報機器
- 小野講堂の情報機器概要(ITセンター)
- 27号館の無線LANアクセスポイント(ITセンター)
- ※同時通訳設備は、ありません。
27号館平面図
東洋小野梓先生
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小野梓先生は、1852(嘉永5)年に土佐藩(高知県)の宿毛に生まれた。東洋と号す。 弱冠17歳にして戊辰戦争に従軍し、明治4年から3年間、米・英両国に留学した。 帰国後、共存同衆を設立。1876年に司法省に入り、 やがて参議兼大蔵卿であった大隈重信のブレインとなり、 近代国家としての法制度の整備と会計検査の基礎づくりに貢献した。 しかし、1881年に国家構想をめぐる政府内部の対立による「明治十四年の政変」 で敗れた大隈に従い政府を去った。 |
1882年4月には大隈らと立憲改進党を結成して立憲主義の下での政党政治を目指し、 当代随一の体系的憲法研究書である「国憲汎論」を発表して、 立憲民主主義に基づく国家建設を構想した。 そして、同年10月に大隈に協力して「学問の独立」を建学の精神とする東京専門学校 (1902年に早稲田大学と改称)の創立の中心となって早稲田大学の基礎を築いた。 また、翌年には東洋館書店を開業して良書普及に努めた。 |
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このように、小野梓先生は、 高い志と深い学識に基づき多方面から日本の近代化を希求した明治前期を代表する思想家であるとともに、 早稲田大学設立の最大の功労者である。 |
2005年2月、本館はその竣工に伴い「小野梓記念館」と命名され、 西早稲田キャンパス7号館から本館に移された小野梓先生の胸像は、 天空に抜けるこの中庭において大隈講堂と向き合い、 早稲田大学、そして日本の将来を見守っている。 (27号館中庭の小野梓像の解説より) |
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周辺地図






























