早稲田大学東洋哲学会 24回大会の御案内

 

 〈日 時〉 2007年6月9日(土) 午後1時より

 〈会 場〉 早稲田大学文学学術院33-2号館 第一会議室

 

 〈プログラム〉

 

○研究発表(午後1時より)

 

一、 陸九淵の思想における他者の役割

早稲田大学大学院博士後期課程    中嶋    諒

一、 中世高野山教学における煩悩論――宥快の根本無明解釈を中心に――

早稲田大学大学院博士後期課程    林山 まゆり

一、尊舜の草木成仏説について

弘前大学専任講師    渡辺 麻里子

一、インド仏教論理学派で扱われる意知覚説の問題

早稲田大学講師    林    慶仁

一、 水戸徳川家と儒教儀礼──葬礼と祭礼をめぐって――

関西大学教授    吾妻  重二

○講  演(午後4時より)

 

一、 『華厳経』と華厳教学──現代的視点からの再検討──

国際仏教学大学院大学教授    木村  清孝

○総  会(午後5時より)

 

○懇親会(午後6時より)

 

   第一会議室にて

 

 

 

〈研究発表および講演要旨〉

 

【研究発表】

 

 

陸九淵の思想における他者の役割

中嶋    諒

陸九淵(一一三九〜一一九二)は自己の本来完全性を説き、「自立」することの必要を強調するのであるが、さらに他者とともに学ぶこと(講学)、他者の記した書物を読むこと(読書)も要求する。なぜなら他者を介さなければ、自己を過信し独善的な立場に陥り、結果として誤った判断をしてしまうからである。従来の研究では、「自立」についての主張が、九淵の思想の全体であるかのように見なされてきたが、それは九淵の思想の一側面に過ぎない。そこで本発表では、九淵の他者についての主張に注目しその役割を考察し、九淵の思想の再検討を試みる。

  

中世高野山教学における煩悩論――宥快の根本無明解釈を中心に――

林山 まゆり

東密において中世とは、多数の註釈書や論義書が作成された時代であった。それは、他宗からの疑難に答えるためだけではなく、同じ真言宗内より出された諸説を精査し、後進の僧達に相承すべき正しい教義を説示する必要があったからである。室町時代、高野山を中心に活躍した宥快(一三四五〜一四一六)も、精力的に注釈活動を行っていた学匠の一人であり、高野山の教学を大成させた人物として、重要視されている。本発表では、煩悩の解釈にまつわる議論をとりあげ、高野山の教学が宥快によってどのように形成されたのか、その一端を考察したいと考えている。

 

尊舜の草木成仏説について

渡辺 麻里子

尊舜(一四五一〜一五一四)は、関東天台で活躍した恵心杉生流を代表する学僧である。著作も多く、尊舜の教説は、中古天台を理解する上で重要であると考える。本発表では、尊舜の草木成仏説を取り上げる。尊舜の著作中、『鷲林拾葉鈔』(『法華経』の注釈書)、『文句略大綱私見聞』、『尊談』(「草木成仏」「草木授記」「草木説法」の条)、『六即義私案立(草木成仏事)』等における尊舜の草木成仏説を分析し、さらに同時代の恵心流の学僧である叡海や実海の著作と比較することによって、尊舜の教説の内容や特質を検討する。

 

インド仏教論理学派で扱われる意知覚説の問題

林    慶仁

五世紀以降のインド仏教においては、プラマーナ(正しい認識根拠)説が発展したが、それに伴い、それ以前の主要な仏教学説に対する態度を明確にする必要に迫られた。認識論についてもその例外ではないばかりか、知の形相の議論ともかかわりながら、外界実在論と唯識説とを行き来するという、独自の認識論体系を創造するに到る。外界実在論に立った場合、初期仏教以降述べられてきた六識の問題がどのように扱われるのか、特に第六識たる意知覚の問題を中心にして、同派内での意見の相違なども視野に入れながら検証するのが、本発表の目的である。

 

水戸徳川家と儒教儀礼──葬礼と祭礼をめぐって――

吾妻  重二

江戸時代初期、儒教を積極的に受容した藩主として岡山藩の池田光政と水戸藩の徳川光圀がいる。彼らはいずれも「冠婚葬祭」としての儒教儀礼、とりわけその葬礼および祭礼(祖先祭祀儀礼)をみずから実行した人物である。本発表では、光圀および水戸徳川家が実際に行なった葬礼・祭礼の記録にもとづいて検討を加えることで、その儀礼が朱熹の『家礼』にもとづくことを明らかにしたい。同時にまた、『家礼』とは異なる日本的変容の特色についても指摘する予定である。本発表は従来見のがされがちであった儒教儀礼に光をあて、ひいては日本を含む東アジア地域の儒教文化がいかなるものであったのかを解明することにつながると思われる。

 

 

【講 演】

 

『華厳経』と華厳教学──現代的視点からの再検討──

木村  清孝

大乗仏教が生み出した思想的精華の一つに『華厳経』がある。それは、ほぼ西暦四百年頃、シルクロードのオアシス都市国家コータンの辺りでまとめられたと推測されるが、それ自体として五世紀以降の東アジア世界の思想形成に多大な影響を与えるとともに、七世紀の中国において華厳宗という一学派を誕生させた。そして、その教学もまた、中国のみならず、韓国(朝鮮)・日本等にも及ぶ大きな思想伝統を構築し、さまざまな方面に影響力をもち続けてきた。本講では、このような『華厳経』と華厳教学の概要を紹介し、現代的な視点から、改めてそれらがもつ意義と問題点について考察してみたい。