盛田 隆二(もりた りゅうじ)



サブカルチャー台頭の時代に
 十六歳の夏、生まれて初めて小説を書いた。それが旺文社の学習雑誌「高二時代」の懸賞小説で一等になり、賞金十万円を手にしたことで、城下町の川越でのんびり育ったサッカー少年は、それ以降いつか一冊の本を書く≠ニいう悪夢に絡めとられた人生を送ることになる。

 一九七四年、大学に入学後、同人誌を創刊し、創刊号が「文学界」の同人雑誌評で取り上げられて気勢を上げ、池袋の芳林堂書店に置いてもらったりもした。だが、小説を書くにはどうも不向きな時代だったように思う。

 当時の大学は学生運動の挫折感と、やけっぱちな明るさが同居し、村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で描いたあの奇妙な解放感に満ちており、自主製作映画やバンド、芝居のサークルが花盛りだった。カウンターカルチャーと結びついた政治運動がサブカルチャーとして脱色化されていく、そんな端境期にぼくは大学を卒業し、サブカル情報誌「ぴあ」の編集者となる。

 作家専業になるまで十八年間勤めたが、「ぴあマップ」など街のガイド本の編集が自分の性にはあっていたと思う。映画やコンサートの〈時刻表〉は電話で入手できるが、〈地図〉を作るためには現場を歩かなければならない。

 国土地理院の地図をコピーして画板に貼り、ぼくは新宿や渋谷の街路を歩きまわった。地図に載っていない新しいビルを赤ペンで書き入れ、オープン直前の画廊や貸ホールを発見すると、後日の取材の約束を取りつける。

「おい、何をしている」としばしば警官に呼び止められながら作業を続けるうちに、国家の管理から外れたところで自分だけの地図を作っているような気分になった。

 もちろんそれは錯覚だが、時代はバブル期で、ガイド本は飛ぶように売れた。深夜でも食事のできる店、子連れでも安心な託児つきスポットなど、読者ニーズを細分化すればするほど売れる。そんなガイド本を作りながら、小説を書き始めた。

 国家の管理下にない〈地図〉。歴史のなかから自分の信じるものだけをピックアップした〈時刻表〉。そのふたつを融合できたらと思い、新宿を舞台に、ある一族の十三代にわたる三百年間の物語を書いた。それが一九九〇年のデビュー作『ストリート・チルドレン』になった。

 ある批評家がぼくの小説を「地を這うリアリズム」と評したが、たしかに取材の仕方は「ぴあマップ」を作っていた頃と変わらない。

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盛田隆二アーカイヴス
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