―本日は大学院生の生活についてお話を聞かせてください。
まず、大学院進学を決めたのはいつ頃だったんでしょう?
C:完全に進学を決めたのは大学4年の5月でした。
3年の末には就職活動をして1社だけ受けたりもしましたが、
その時点ではまだ勉強したい気持ちが強く、会社選びの条件もその時間が取れるところ
ということに設定したくらいなので、それならば会社のこともよくわからないし、
とりあえず勉強して後々悔いの残らないようにしようと進学を決めました。
H:私は学部の卒業論文のテーマを決める際に大学院で勉強するのもいいなと思ったのですが、
親もできれば就職して欲しいと言っていたので、どうしようかなと・・・
親の意向もあって就職活動したのですが、自分自身に働く心積もりが無かったのもあって、
なかなか内定がもらえず、結局、4年生の4月頃に親に大学院に行かせて欲しいとお願いしました。
―お二人とも学部から直接進学されたわけですが、受験勉強はどのようにされたんですか?
H:本気でやり始めたのは直前ですね。私は特に英語を集中的にやりました。
学部受験の時の参考書を使って勉強しましたね。
C:僕は大学4年の授業登録で大学院試験用の英語科目というのを履修して、
その授業と市販の大学院入試用の問題集を使いました。
―受験の際は専門科目もありますが、そちらの準備は?
C:最初、4年生の4月くらい段階ではほとんど人類学についてわからなかったので、
人類学の歴史についてや、縮刷版の「文化人類学事典」、文化人類学のキーワードをまとめた本を読みました。
H:私も人類学の全体が分かるものを読みましたね。
あとは就きたい教授に関する分野を特に集中的に勉強しました。
―受験を決めたときには研究内容は完全に固まっていましたか?
H:私の場合は卒論からの関連で「川」に関する研究が絶対したかったので、決めていましたね。
C:僕は受験段階とけっこう変わってきましたね。学部で勉強していたときは、メディア、特に雑誌に興味があって、
学部の3年生の時に川原先生の授業で雑誌の言説についてレポートを書いたのがきっかけで、
修士受験時の研究計画はそれをさらに発展させるという形で提出したんですが、
卒論を書いているうちに雑誌と都市との関わりについて書けると思ってそちらにシフトしていって、
最終的に都市とか空間というがテーマになりました。

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―普段の生活についてなんですが、バイトとかってしてました?
H:してました。学部時代から続けていた、けっこう自由が利くバイトで、週1か週2で。
C:僕も融通の利く、大学関係の仕事を知り合いづてにやってましたね。頻度はまちまちでした。
―奨学金は?
H::もらってました。
C:僕はもらってなかったです。

―研究はどうやって進められたんですか?
C:空いてる時間をうまく使って、家や図書館で本を読むのが中心だったなぁ。
H:学部生の時は人類学に関する勉強はほとんどしてなかったんですが、
大学院の授業で人類学の歴史を系統立って勉強できたのはとても役に立ちましたね。
あとは読書会をやったのがよかったですね。
C:そうですね。読書会は自分たちで本を選んで自分たちで読むので、
勉強したいという欲求を一番満たしてくれましたね。
H:自分たちの一番興味があるものを読めるしね。
C:うん。勉強全体につながる読解力とか知識が身につきました。
―読書会はどんなふうに開いていたんですか?
H:2週間に1回くらい、5、6名くらいでやっていました。
先輩方の主催するものにも参加していたのですが、
自分たちでやるものとそれぞれ学ぶところはありましたね。
C:最初は僕らの読書会も先輩方にいろいろ教わりながらやってましたね。
―人類学の大学院に行って良かったところは?
H:フィールドワークができたことですね。
普段会えないような人にも勉強を通じて会うことが出来ましたし、さらにそういう方たちと子ども時代の話など、フリートークができたのは貴重な経験でした。
その話から得た知識だけでも、やってよかったと思えます。
C::文化人類学って世の中のものをわりと疑ってみたりするじゃないですか。「文化といってそれってどう作られてるの?」とか。
当たり前のことを当たり前に見ないという視点が身についたのはよかったですね。
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―進路についてはいつ頃決めたんですか?
H:博士課程に行く前に絶対働こうとは決めていました。修士1年の12月から1月頃から少しずつやってはいましたが、
本格的な就職活動はフィールドワークが落ちついた修士2年の4月以降ですね。
C::社会人になる前に勉強に悔いを残さないためにということで進学したので、僕も入学時から就職することは決めていました。
自分の勉強したことをなるべく活かせて、自分の興味と生活を両立できるようなところを探していて、
結局15社くらい受けましたね。
―就職活動の中で大学院卒業ということでハンデは感じましたか?
C:学校関係を受けていたんですが「修士課程を卒業するみたいだけど、その分、他の学部卒と比べて何かアピールできるところはあるの?」
という質問はされたことはあります。そいうときは勉強したことだけじゃなくて、先生方と接する機会が増えたので、学部の運営とか学生への対応、
学校の組織などがある程度わかるようになったと答えました。
ハンデとしては学部卒しかエントリーできない企業や、中途採用の方と一緒の面接枠ということはありました。
H:私が希望したのは大学院とは全く関係ない職種だったからだとは思うんですが、学校のことは聞かれませんでした。
特にハンデを感じたことは無くて、逆に人事の方に一つのことをやってきたという点で評価をしていただきました。
フィールドワークをしたり論文を書いてきたと言えたのはアピールできる点としてメリットでしたね。
自分でも学部の時の自分より成長はしていると思います。
―職種決定はどうやって?
H:最初はマスコミという大きい枠で考えていたんですが、
兄が文学部出身でシステムエンジニアをしていたということもあって、
周りの友達からも話を聞いたりしているうちにいいなぁと思うようになりました。
それで、説明会に行ってみたら今までとはぜんぜん違う世界で、それもおもしろいなと思って。
学校から出るからには違うことをやりたくて。
ITの技術も勉強できるので、将来また学校に戻ってくるにしてもその先の保険になるかなと。
―最後になりますが、後輩に一言お願いします。
C:文化人類学がやっている問題意識を持って、フィールドワークで足を運んで、解決策を探すということは
社会に出ても役に立ちそうですよ。
H:大学院生って自分からやらないと何も始まらないので、自主性を持ってください。
―ありがとうございました。
(インタビュアー:修士課程1年 K) |
2007年3月 日本語日本文化博士課程
日本語日本文化修士課程 |
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| 2008年3月 日本語日本文化修士課程 |
・谷崎潤一郎<青年期>の文体
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・現代米大統領戦時スピーチ研究 ポストモダン大統領の説得戦術
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