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西江雅之「『文化人類学研究』発刊によせて」(『文化人類学研究』第1巻 巻頭言)

新しい学会誌の誕生を慶びたい。

文化人類学は新しい学問である。社会人類学、民族学と、文化研究の系譜を遡っても、たかだか百数十年ほどの歴史を持つのみである。それどころではない。この学問が対象とする"人問"の発見ですら、わずか二百年ほど前のことに過ぎない。

文化・社会的存在としての個人と集団、世界各地に見出される多種多様な生活者としての人間、人類史の一部としての人間、動物の一種としての人類、等々。これらの概念を明示するための"人間""人""ヒト"のような表記の使い分けをめぐっては、研究者により様々な選択理由があり、混乱も見られる。その"人間"が持つとされる"文化"とは、一体何なのか。この語の定義付けの試みや、それに関わる論争は多岐に渡る。それについては、ここで敢えて触れるまでもないだろう。

前世紀までの学問の枠組みに固執する人々は、文化人類学は、研究対象とする領域があまりにも広く掴み所が極めて不確かな学問であるとする。それ故に非常にダイナミックな研究分野であると、擁護する人もいる。細分化された学問領域を総合する学問として期待を寄せる者もいる。

文化人類学は、いわば、人間に関することすべてを対象とする。今世紀に入るまでは、その研究は、多様な人々の生活を、主に過去及び現在との係わりで扱ってきた。研究者は、ある主題に関して、特定の時代、土地、人々、生き方、行動、等々を選び、研究に携わってきたのである。二十世紀後半、こうした研究のあり方は他の学問分野に増して、時代と地域、その社会状況に応じて目まぐるしい変貌を重ねてきた。

古い過去の世界に様々な形で見られた世界観は、自分が世界の森羅万象の一部であることを前提として構築されていた。それに対して、ヨーロッパの伝統をひく前世紀までの学問の基本的な立場は、自分を除外して人間や世界を理解しようとするものであった。このことについての反省のひとつは、対象への加担という形で現れた。人間研究の一部は、従来のように、ただ外部者として他者を眺めているのではなくて、自分を含めた人間が置かれている現状の確認を目指し、わずかながらとはいえ、未来に向けた働きかけに携わるようになってきている。

現在、文化人類学は他の学問と同様に、大きな転機にある。その主な原因は、立脚すべき基盤の置き方や論点の多様化が先行したためというよりは、研究対象である人間の世界そのものに大きな変化が見えてきたからである。身近な例は、地球上を一挙に覆った情報技術の普及にも見られる。国の概念は揺るぎ、都市や農村、漁村などは今までとは異なった顔を持つ。従来の意味での僻地、奥地は既に存在しない。政治、経済、報道など、生活上のいくつかの面では地球化が急速に実現し、同時に多くの地域化が促進されている。さらに、ペンによる文化の"記述"のなかに、情報機器による様々な研究の展開方法が力強く入り込んできたことも重要である。従来の記述法が消し去られるというのではない。全体的に見れば、研究対象の把握、再生、その結果の伝達などにおいて質、量の両面で大きな変化が見られるようになったのである。

様々な意味で文化人類学が変革期に直面しているにもかかわらず、日本には、文化人類学関係の話題や研究成果を提供できる場が極めて少ない。この新しい学会誌が、広大な研究領域に関心が向けられるこの分野で、人間を研究する者にとって開かれた豊かな場として発展していくことを期待したい。

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