The Japan Society for Jewish Studies

日本ユダヤ学会設立の趣意

 明治以来わが国はヨーロッパ文化に対して非常な貪欲さをもってその理解と摂取につとめて参りました。しかしながらそれは,ギリシア文化と併称されるヘブライ系の文化についてはいかがでありましょうか。これをいわゆる「ユダヤ的・キリスト教的」文化と解する場合,そのキリスト教的な面に関してはともかく,少なくとも「ユダヤ的」(イスラエル的)な面に関していえば,なお多くの余地がわれわれの探究と開拓の努力をまっているように存じます。
 問題をしばらく学問の分野に限って考えてみますならば,まず第一に,旧約学を中心とする諸領域におけるイスラエル研究の深まりは,古代オリエント学諸部門における活況と相伴いつつ,近年まことに著しいものがあります。ただ強いていえばこのような事情からわがユダヤないしイスラエルの本格的研究は概して古代中近東世界に集中し,またその解釈の態度においてもキリスト教学的な色合いが基調となることをまぬがれなかったように思われます。
 しかし,古くヘブルの民といわれイスラエルの子らと呼ばれたユダヤ民族の生活過程は,そのもろもろの文化的所産とともに,もとより文字通り古今をつらぬき東西にわたって,特定の時代と地域に限定して扱うべく余りに世界史的なものがあります。またその過程と所産の特徴と意義は,例えば,キリスト教的なものの前提としてのみとらえるべくは,余りに独自なものがあります。従って,イスラエル的ないしユダヤ的なものをすでに止揚されたものとし,単に古代パレスチナに由来する一個の化石にすぎぬものの如くみなし,それ自体としての意味やその後の歴史的発展に目をふさぐことは,視野狭小のうらみなきを得ません。それは,活動のきわめて創造的,多面的,また永続的であるこの民族のユニークな全体像を理解し評価するゆえんではないといえましょう。
 第二に,第一次大戦前のトルコ帝国時代からいわゆる回教(イスラム)圏研究はわが学界に一つの特徴的な伝統を形成し,大きな成果をあげてきたことは,周知のとおりであります。そしてわが国において,特に近代以後の「パレスチナ問題」――そのかぎりでのユダヤ人問題――へのアプローチは,少数の例外を除き,多くはこの線における中東問題ないしアラブ世界研究の一環として行われてきたものといえましょう。
 しかし近代パレスチナないし現代イスラエルの問題は,ユダヤ的観点からすれば,亡国以来の民族の流浪受難,特に近代ヨーロッパ諸国における苦悩と隷属からの脱出の努力――ひいて民族伝統の自由理念――につながる面があります。かくて,現イスラエル国家の建設を頂点とするユダヤ・パレスチナの問題は,近代ユダヤ民族史そのものの内面から理解する必要があり,またパレスチナならびに世界におけるユダヤ人の側のデーターと論点とを無視し得ないものがあるといわねばなりますまい。  最後に,日本におけるユダヤ研究に関連して見逃すことのできぬ一つの流れは,特に大正中期以来著しい経過をたどりつつ今日におよんでいるいわゆる「ユダヤ人問題」論議ないし,“研究”のそれであります。これは大別して反ユダヤ,親ユダヤの二系統になりましょう。本来日本は,いうに足るべき社会集団としてのユダヤ人をほとんど欠いて居り,またキリスト教的なワク内のイスラエル知識,ユダヤ理解すら一般にはほとんど行きわたっていませんでした。にもかかわらず,異常な熱をおびたこのような二つの運動がわが国においてそれぞれ40年30年の歴史をもち得たということは,驚くべき事実といわねばなりません。いわんや,かつて反ユダヤ陣営にあってまぎれもなく指導的役割を演じた向きが,戦後なんらの理由を示すことなく卒然として親ユダヤを標榜し,しかも数十年終始一貫ユダヤの友であったかのごとくに自己を粉飾するにいたっては,唖然たらざるを得ぬものがありますが,それはまた,ここにいう「ユダヤ人問題」論議の根本的性格を察せしめるものでもありましょう。
 ところで私どもは,ごく最近のものをふくめて過去40年間に生み出された反ユダヤ,親ユダヤ入りみだれての多種多量の文献について,基礎的知識の驚くべき欠乏,論証の非合理性,反歴史性,ファナティックな一種の人種主義に結びついた怪奇な政治的傾向性などを指摘せざるを得ません。また,これらの文献に痕跡をとどめているようなユダヤ論議と運動こそは,世上一部の通俗的ユダヤ観念を招来したもの,現にそれを支えているものだという事実にたいして,深き注意を喚起させられるものであります。しかも,この両者のうち,かつてユダヤ禍論とも自称した反ユダヤ側は,今次敗戦とともに少なくとも表面的には終息した形ですが,なお再現のきざしを見せて居り,親ユダヤの側は,戦後イスラエル国家の誕生を機縁として再編され,各派多少のニュアンスの差を示しながらも同工異曲の「日猶(日本とイスラエル)同祖論」に立って“日猶親善”を唱えているという状態です。
 私どもは,これらとは全く別種の問題意識をもってユダヤないしイスラエルの問題に取り組もうとする人々が,冷静な客観的態度と厳密な論理的手続きをもって到達し得た研究成果を,持ち寄り発表し合い,さらにこれを社会的に表現して行くことを待望せざるを得ません。それを通じて以外,上述のようにして養われた一部のユダヤ観の根は,なかなか抜きがたいものがあると思われます。この古き根の跡に別の土壌に育まれた若木の苗を植え込むことは,ユダヤ学に志す者のうえに課された今後の重要な任務だといえましょう。
 私どもは,イスラエルないしユダヤ文化の過去および現在における諸形態,その現実的基盤,またそれらと非ユダヤ世界との相関関係などにたいする共通の興味につながるものですが,日本におけるイスラエル研究ないしユダヤ論議の状況について上述のごとき観点においてほぼ一致し,微力をもかえりみず次のような研究組織を構想するにいたりました。すなわち,
1. イスラエルないしユダヤの生活と文化(以下「文化」と略記)そのものを中心の課題とし,それにたいして純粋な知的または人間的興味をもつ人々が,信仰,立場,職業,研究領域の如何を問わず,ただ学問的真実への憧憬の念において協力し啓発し合えるような研究組織
2. イスラエル文化を,古代から中世以降現代につらなり,パレスチナのみならず地球全面にわたるものとしてこれを世界史的発展の相においてとらえ,ユダヤ民族の生活事実ならびに文化的遺産を,あらゆる時代あらゆる場所にわたって問題とし得るような研究組織
3. イスラエル文化を最も広い意味に解し,それを宗教学ないしキリスト教学的,言語学的または古代史学的にのみならず,さらに,ひろく人文科学,社会科学,自然科学諸部門のあらゆる角度から取り上げて行き得るような研究組織
4. ただし,在来の反ユダヤ的(「フリーメーソン」論的,「シオンの議定書」論的)ユダヤ論議,またいわゆる日猶同祖論的なイスラエル研究とは意識的に自己を区別し,むしろこの種の論議ないし運動を,日本におけるユダヤ学の一研究対象として叙述し分析しかつ批評して行くような研究組織 をもちたい。こうした組織を通じてお互いの研究上の連絡と知識交換の一層の徹底をはかり,かたがたイスラエルないしユダヤに関する正しき理解の普及のために,得べくんば啓蒙の役割をも果たしたいと,かような夢を托してここに「日本イスラエル文化研究会」の設立を発起した次第であります。日本における「ユダヤ学」ないし「イスラエル研究」の拡充と前進のために,同好同学の各位の御賛同と御協力を頂きたいと存じます。
                 1960年9月           (創立発起人氏名略)