小川晴暘手拓 雲岡石窟拓本展

1999年6月14日(月)〜7月17日(土)

會津八一記念博物館1階企画展示室

 雲岡石窟は中国山西省大同の西郊、武州山の岩壁に造られた石窟で、 東西約1キロ、大小40の石窟からなる、洛陽の竜門石窟とともに中国を代表する一大仏教遺跡です。 和平の始め(460年)、北魏の文成帝が先亡皇帝の追善のために、五窟を開いたのに始まり、北魏の国力を 傾倒したこの事業は、文成帝、献文帝、孝文帝の三代にわたって継続され、北魏の洛陽遷都(493年)までの 間にほぼ完成しました。

 この時期は太武帝の仏教弾圧後の復仏の時期で、石窟内に刻まれた石仏はいずれも 自由で素朴な作風を示しています。初期のものは、インド、西域など西方影響が強く、末期のものになるにつれて 次第に漢化の傾向がみられます。

 仏像写真の草分け、奈良飛鳥園の小川晴暘は、1939年、41年の二度にわたり、雲 岡石窟を訪れ、石窟の写真撮影、調査の傍ら、石仏、装飾などを手拓しました。今回展示される拓本は、小川 晴暘の遺志により本学東洋美術陳列室(現博物館)に寄贈されたもので、石窟内に刻まれた仏、菩薩、釈尊の 一生の事蹟を描いた仏伝図、唐草模様などの拓本38点を展示する予定で、中国初期芸術の一端を知る上で 貴重な展観といえるでしょう。

小川晴暘(1894〜1960) 兵庫県姫路市生まれ。1911年、東京の丸木写真館に入門し、やがて明治天皇の御真影係主任となるかたわら、 文展洋画部に入選、写真と絵の特技を買われて朝日新聞社に入社しました。 仏文学者山内義雄らに誘われて大和古寺を巡礼し、古美術への目を開き、大阪への転勤を機に奈良に住み、 仏像の撮影を始めました。1921年10月、晴暘撮影の石仏の写真が、たまたま奈良を訪れていた 秋艸道人會津八一の目にとまり、朝日新聞社を辞し、飛鳥園を創業、以後會津八一の指導のもとに 多くの仏像写真の傑作を残しました。

展示室の様子 

拓本(たくほん)のとり方

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(下)第7洞南壁琵琶奏楽天人

(下)第6洞南壁仏伝(出家踰城)