2005年度ヨーロッパ・アルプス合宿報告書

2005年9月30日(金)

文責:古関光浩(一文3

 

1.期間:2005825日(金)〜920日(火)

 

2.山域/形態: ヨーロッパ・アルプス (モンブラン山群、ドロミテ山群)/ 定着

モンブラン、プチベルト、ミディ、トレ・チメ・ラバレード、セラ等

 

.参加者: 山田新(監督、OB)、古関光浩(一文3・CL)、福島智哉(スポ科3・SL)、板倉理一(理工2)、後藤一郎(一文2)、高谷和郎(スポ科2)、三浦唯(スポ科2)、渡辺尚人(スポ科2)、小柳一洋(スポ科1

 

4.行動概要

期間 826日(金)〜920日(火)

 

826日(金) 成田〜チューリッヒ〜ジュネーブ〜シャモニー

827日(土) 買出し等

828日(日)〜96日(火) モンブラン山群で、登攀訓練、ピークハンティング、全員でモンブランアタック

97日(水) シャモニーからコルバラ(ドロミテ山群)へ移動

98日(木)〜917日(土) ドロミテ山群で登攀訓練、ピークハンティング

918日(日) コルバラからベニス移動

919日(月)〜920日(火) ベニス〜チューリッヒ〜成田

詳細は別紙参照。

 

5.行動記録

 

8月26日(金) 雨 

1025(日本時間)成田空港〜チューリッヒ空港〜ジュネーブ空港〜1800(現地時間)シャモニー郊外ペルラン

 

 約半年前。壮絶だった知床での春山合宿を終え、新体制を整え、当時2年生以下7人で話し合った。

 この夏、ヨーロッパに行こうか。

 井口昌彦OBが種をまいて下さった。ドロミテの山々は、アプローチが近く、岩は堅い。なによりガイドや現地の人たちの関わり合いの大事さを語ってくれたのは、今まで登ることしか考えていなかった登山の楽しみかたを一つ教わった気がする。

 そして、近藤等先生が太陽となって僕らを育てて下さった。ご高齢を押して、部室へ何度も足を運んでいただき、ルート研究だけでなく、フランス語、イタリア語会話、海外でのマナーや、僕らが気づかないような細かいことまで、優しく紳士的に教えて下さった。

 また、稲門山岳会からWAC基金の拠出や、OB達から熱い思いのこもった寄付金も頂戴した。

 改めて感謝しています。本当にありがとうございました。

 準備は、着々と進められた。自分の要領の悪さを呪ったり、周りに当り散らして、不愉快な気持ちにさせていたことも多々あったが、山田監督や部員に助けられて、いつの間にか南アルプス縦走も無事に終えていた。

 そして、出国の日を迎えたのだ。白鳥健二OBが見送りに来て、台風直撃を心配して下さった。最悪のシチュエーションを考えて色んな手を講じていたが、スイス航空機の出発は定刻より20分ほど遅れただけですんだ。

 ジェネーブに着いた。異国の地に初めて降り立った部員もいる。マイクロバスに乗り込み、シャモニー郊外ペルランのペンションへ。飛行機の中で寝てばかりいて退屈だったのに、こっちの時間はもう夜だ。寝ることとするが、神経はずっと高ぶっている。横になって、「そうだ、いよいよ来たのだ」と、当たり前のことを呟いていた。

 

8月27日(土) 晴れ

ペルラン〜シャモニー、装備・食料買出し、神田泰男・美智子夫妻や飯田年穂先生と会う。

 

 気にかけていた天気はすごく良くて、青空を突く針峰群から朝日が差しこんでいた。

 品揃えなど、アルプス随一と言われる登山用品店のスネルスポーツを訪ねる。日本と比べて、値段は安く、物も良いと思う。しばらくして神田泰男さんが来て、歓迎してくれた。こっちの山男は、若い人が多く、爽やかで感じが良い。

 夕方、出国前からエージェントとして連絡をとっていた神田美智子さんと会う。彼女は、来日の際、部室に寄って下さったことがあるので、すぐに分かった。明治大学山岳部長の飯田年穂先生も来て下さった。シャモニーの街は、山岳耐久レースで熱気に溢れている。

 僕らがこれから約10日間過ごすレジデンスブレバンというアパートへ荷物を移し、山田監督と飯田先生と僕の3人で、今後の行動計画について話合う。

 

8月28日(日) 曇り

シャペル・ド・ラ・グリエールでの岩登り訓練

 

 今日は、検定試験のようなものだ。E.N.S.A(フランス国立スキー登山学校)の指導教官で、近藤先生の親しき友人でもあるアンセルム・ボー氏(Anselm Baud:以下アンセルム)に、僕らの岩登りの腕前を見てもらって、行きたいルートについてガイドをつけた方が良いのか判断してもらおうというわけだから。フレジェールのリフト乗り場で9時に待ち合わせして、アンセルムと初対面する。気さくで、陽気なお父さんのような印象を受ける。飯田先生を含めた計11人、5パーティーでグリエールの岩場に取り付く。ランニング支点が日本ほどないのに動揺して、最初は動きが硬かったものの、数ピッチ登ると岩登りの勘を取り戻していった。途中、ドリュ、アルジャンチエール、シャルドネの頭が雲間から覗いて美しい。高度感に加えて、素晴らしい景色! 花崗岩の堅い岩場での快適な登攀で検定試験のことは忘れて、アルプスのとりこになってしまった気さえする。

 下のカフェでお茶を飲みながら、アンセルム先生に成績発表してもらう。久しぶりの岩登りで時間がかかり過ぎていたように感じたが、どうやら皆が予定通り行動できそうだ。ただ、ツールロンド北壁など、アイスクライミングのルートは状態が悪いので、やめておくようにということ。天気や、シーズンも終わりに近いということがあって、落石がひどいのだ。

 翌日は、飯田先生が薦めてくれたプチベルトに行って、全員で氷雪テクニックを磨くことにする。飯田先生とはここでお別れだが、親身になって色々と手助けいただいた。本当にありがとうございました。

 

8月29日(月) 晴れ

プチベルト北壁(古、福、渡)、北北東稜(山、板、後、高、三、小) 10時取り付き〜16時登攀終了

 

 朝8時、神田美智子さんがシャモニー内の移動に使うマルチパスを渡しに来てくれる。バスとロープウェーを乗り継いで、グランモンテへ。山頂駅からコルに下り身支度を整える。

 北北東稜に取り付いたところから、念のためロープを伸ばす。雪上登攀も久しぶりで、なかなか楽しい。途中から古関、福島、渡辺はプチベルト北壁に向かう。大きく口をあけたクレバスを慎重にトラバースして、ほぼ垂直の氷壁にアックスを打ち込んでみる。粉雪がクレバスと蒼氷を隠しているが、氷結状態は良い。アックスとアイゼンの前爪を信じて、息を切らしながら50mロープを張る。山田監督らが左下から登ってきていて、北北東稜も手ごたえのある岩と氷のミックスルートだったようだ。やがて渡辺が2番目に登り、最後、福島が支点を回収しながら登ってくる。

 下りはノーマルルートだが、踏み跡があるところも所々嫌らしいミックスとなっている。コンテニュアスしながら、要所では確保して、慎重に高度を下げていく。懸垂下降地点では順番待ちをした。辺りを見渡すと、昨日とは違った角度のシャルドネとアルジャンチエールがどっしり鎮座していた。圧巻だったのはミディの裏に見えるモンブランだろうか。再びロープウェーでシャモニーへ戻ると、日差しが痛いくらいに暑い。

 

8月30日(火) 晴れ

7時ロープウェー乗り場〜8時半ミディ・コスミク山稜取り付き〜13時半登攀終了

 

 ミディは、シャモニーの街にいたら直ぐわかる。雄々しい尖塔は、見る者に憧れか恐怖の選択を迫るのだろう。ロープウェーで観光客が気軽に行けるミディは、岩登りルートで有名な南壁やコスミックバットレスも持っている。

 僕らは朝一番のロープウェーに乗ったが、中間駅に忘れ物をした福島を待ち、余裕を持って出発する。南壁を横にみて、岩と雪の鋸歯の稜線を行くのが今日のルートである。アプローチが便利なのと、水平差も高低差もさほどないので、日帰りのクラシックルートとして人気が高い。途中、懸垂下降地点を間違えて、ルートをはずしたこともあった。

 時間をかけながらも、ミディ展望台がゴールだ。観光客が、温かい目で見守ってくれていて、ツールロンド北壁が光を浴びて珊瑚色に輝いていたのに感動した。

 

 

8月31日(水) 晴れ

9時シャモニー、バス〜940レ・ズーシュ、ロープウェー〜ベルヴュー、電車〜1030ニー・デーグル(鷲の巣)〜1230テートルース小屋〜1430グーテ小屋

  今合宿の目標の一つとしていたモンブラン登山。4,807mと富士山より約1,000m高く、ほとんどの部員にとっては未知の領域である。最近は気温の高い日が続いているので、落石が怖い。

 しかし、この日の為にコンディションを整えてきた。プチベルトとミディで氷雪技術を確認し、大切なお天道様が僕らの味方をしてくれている。さらに、近藤先生の友人で、E.N.S.A.を定年退職したジャン・クードレイ氏(Jean Coudray:以下クードレイ)が、好意でガイドとして先導してくれることになって心強い。

 シャモニーからバス、ロープウェー、登山電車にゆったりと身を委ね、ニー・デーグルまで。ここから、グーテ小屋を目指す。高度差は800mほどあって、急な斜面を登りつめていく。クードレイは楽しそうに、口笛を吹きながら、時には注意を喚起してくれる。青い空にビオナセイ北西壁が照り輝いている。テートルース小屋からアイゼンをつけ、前進基地となるグーテ小屋へ。アンセルムと中国人、チベット人が後から上がってきて、団欒を楽しむ。山小屋の美味しい食事と、気の良い仲間たちにめぐり合って静かな夜を迎える。

 

91日(木) 晴れ

3時グーテ小屋発〜7時モンブラン頂上〜モンモディ、モンブラン・デュ・ダキュル縦走、12時半ミディ山頂駅

 

 星が、ひとつまたひとつ瞬き始め、真珠色した月の光が山を照らし出している。モンブラン登山は、出来るだけ早く、夜明け前に出発した方が良い。幸いにも高度障害を訴える者は誰もいない。全ての準備は整った。足元を照らすヘッドランプの光を頼りに、トレースを追う。登山者の照らす光が一列になって、高速道路を作ってくれている。クードレイの一定した速いペースに隊列乱さず、一生懸命登りつめていく。そして、モンブランの朝を迎えた。山頂の方には、ルートを見失ってしまいそうな広大な尾根、雪庇と、さらに奥には細い雪稜が続いていた。僕たちの歩いてきた道のりの遥かさに心満たし、天上の澄みきった空気を大きく吸い込む。

 雪稜の傾斜が緩くなってくると、そこは頂上だ。先に着いた外国人パーティーなど、皆が喜びに溢れていた。僕らも記念写真をとって、健闘を称えあう。みんなよくがんばった。

 グーテ小屋から4時間で登ることができ、天候も崩れそうにない。往復するよりも、モンモディ、モンブラン・デュ・タキュルを抜け、ミディから帰る三山縦走のほうが興味深い。セラックの心配も少ないということで、クードレイを先頭に、ゆっくりと下っていった。所々、急な雪壁にでると、フィックスロープが設置されていて、安全は確保されている。アンセルムと中国人のパーティに追いついて、一緒にミディへ向かう。振り返っては、モンブランを眺めみたりして、充実感に浸っていた。

 

92日(金) 晴れ

休養日 夜、神田邸でパーティー

 今日も相変わらず天気は良好なのだが、ずっと動きっぱなしで疲れがたまっているので、休養とする。板倉と後藤は、朝早くからガイアンの岩場へ、他はシャモニー市内を観光したり、本を読んだりして、思い思いに過ごす。

 夜、神田夫妻と次男のなおみ君、アンセルム夫妻らと、ドリュが目の前に見える、白樺に囲まれた夢のような庭園でバーベキューをご馳走になる。スネルスポーツの前で声をかけて下さった元経団連幹部という藤原岩造さんからお酒が届いていた。ワインや、肉を美味しく頂いた。

 日本とシャモニーでは、登山に対する意識は少し違うものかもしれない。シャモニーでは安全を第一に考え、そのためにどうしたらいいのかということを強く意識しているような気がする。レジャーの一つとして登山を楽しんでいるから、若者も多い。見習うべきところは見習って、各々が普段の活動にフィードバックすべきだと感じた。

 

93日(土)〜96日(火)

この期間は隊を分けて行動していたので、各隊ごとに記す。

 

 

 

 

 

 

 

 

93日(土) ※3隊に分かれて行動 

シャルドネ、フォーブス山稜 曇り <古関、小柳、アンセルム>

14時シャモニー、アンセルムの車でレ・ツール〜ゴンドラ、リフト乗り継ぎ〜17時アルベール一世小屋

 

 僕らはモンブラン山群の北部にあるシャルドネのフォーブス山稜に登ることにする。岩と氷の長いミックスのこのルートは、近藤先生から推薦いただいたことと、アルパインクラブのガイドブックにも絶賛されていて、登攀内容はかなり期待できそうである。写真で見るかぎりでも、氷河帯や、急斜面のセラック帯、稜線上の飛び出たジャンダルムが幾つもあって興味深い。今日は、氷河の末端にあるアルベール一世小屋まで行くだけなので、午後出発。アンセルムは気さくな人で、冗談を交えながら楽しく登っていく。小屋まではスニーカーで行けるので家族で来ている人たちも多く、賑やかだった。(記:古関)

ランデックス ペッロックス (Y−、6ピッチ)<福島、後藤、高谷、渡辺>

シャモニーから8時半のバスでフレジェールに向かう。ロープウェイからリフトへ乗り換え降りると目の前にあるのが、このランデックス。アプローチも簡単で今回登ったところも人気があり僕らよりも先に何パーティーかがとりついていた。後藤がトポを熟読しており、取り付きは難なく見つけ9時半過ぎには登り始める。最初のピッチの終わりは、ホールドが小さい上少なくやや緊張した。他のピッチは何ら問題もなくピンもあって、かなり快適に登攀できた。頂上に後藤、高谷は12時30分。福島、渡辺が12時45分。いいペースで登れたと思う。天気は最高、言うことなし。さすがにアルプスで最も美しい見晴台のひとつ。モンブランに面してまるで見張りにたつようなこちら側の山群はエギーユルージュからアルジャンチエール、ベルト、ドリュ、ミディ、モンブラン、とモンブラン山塊を一望のもと見渡すことができた。懸垂下降は50mロープを二本つなぎ、2回で下る。ガリーを下り4人が集まったところで、これまで食べていなかった行動食を全てたいらげる。この日はシャモニーにいて最も気持ちがいい日であった。(記:福島)

ダン・デュ・ジェアン(ノーマルルート)  晴れのち曇り、時々雪 山田監督、板倉、三浦>

ダン・デュ・ジェアン(以下ジェアン)はフランスとイタリアの国境の山脈に突き出た岩峰である。すっきりとした岩場で「巨人の歯」という名にふさわしい。ノーマルルートは全ピッチ3級の入門ルートである。

4日にジェアンとロシュフォール針峰の両方に行き、この日は近くのトリノ小屋に入るだけの予定だったが、人気ルートであるジェアンの日曜日(4日)の混雑を避けるため、この日ジェアンに登ることにし、急いでシャレーを出る。

ミディ、エルブロネル間は20分ほどゴンドラで移動するのだが、シャモニー、ミディ間で使えるマルチパスはここでは使えないようだ。51ユーロ払い3人分の往復券を購入する。

エルブロネル駅で準備をし、10時半コンティニュアスで出発。

トレースのしっかり付いた氷河を歩き、簡単なミックスを登ると2時間ほどでジェアンの基部に着く。

クライミングに使わない荷物をデポし、12時45分取り付く。

1ピッチ目。基部にある「食堂」と言われる小さな岩の下にテラスがあり、そこをトラバースしカンテの裏へ回る。しかし、そこはとても3級とは思えないような岩場でトップの板倉が苦戦する。

2ピッチ目は高度感のある快適な岩場。3ピッチ目以降は太いFIXロープが延々と続くすっきりとしたフェース。腕にこたえる。 

最後のピッチにはロープはないが岩のしっかりしたリッジなので問題はない。

南西ピークに16時着。時間がないのでもう片方の北東ピークには立たたず下降を開始する。

懸垂下降の支点は2つのピークのコルにあり、そこから南壁を下降していく。

途中、3ピッチ目の支点が2ピッチ目の支点のはるか左にあり、下降途中、板倉が右に大きく振られ宙吊りになる。なんとか岩にしがみつき3ピッチ目の支点にたどり着く。これで時間を費やした。以後はこまめにピッチをきり、6ピッチ目にしてようやく基部に着く。19時半。

荷物を回収し下山開始。氷河に着いたところでヘッドランプをつけ、21時40分トリノ小屋着。皆疲れきっていたため、軽い夕食後就寝。(記:板倉)

 

9月4日(日) ※4隊に分かれて行動

シャルドネ、フォーブス山稜 晴れ <古関、小柳、アンセルム>

3時出発〜フォーブス山稜〜10時シャルドネ頂上〜14時半登攀終了〜16時半シャモニー

 僕らは天気の神様に愛されているようで、今日も満天の星空が出迎えてくれる。ヘッドランプをつけ、アイゼンをキュッキュッ言わせながら、クレバスに注意を払い氷河を詰めていく。日曜日だが、登っている人はそんなに多くない。やがて、セラック帯の急斜面にでて、岩交じりのところはスタカットを交えながら順調に登っていく。稜線上にでると、今まで見ることが出来なかったベルト針峰が待ち構えていた。北壁のトラバースには苦戦したが、程よい緊張感と、時折見える見事なアルジャンチエール圏谷群に、心のリズムもシンクロしていた。

 頂上を踏んでから、下降に入ると後ろから人が追いついてきて、激しい落石の音がする。懸垂下降地点で準備していると、サッカーボール大の石が、古関と小柳の頭上に降ってきたこともあった。アンセルムは的確な判断で僕らを下ろし、素早く安全地帯まで逃げた。

 「スピード=安全」とは、使い古された言葉のようだが、改めてその意味の大切さを実感した。また、周りをよく観察することなど、普段から普通に出来ていると思っていたことも、何度も正して貰ったおかげで非常に勉強になった。一年生の小柳は、初めての氷河や、硬い蒼氷のトラバースに物怖じせず、力強い足取りでずっとついて来ていた。彼は、本当によくがんばっていると思うし、山登りができることに感謝している謙虚な姿を見て、なにやらほっとした。(記:古関)

 

レム北北東稜(W)  <福島、渡辺>

 ミディのロープウェーでミディ南壁を登る高谷、後藤と途中まで一緒にいく。プラン・デュ・ゼギーユ駅で降りると、手前からエギーユ・デュ・プラン、ブレチエール、グレポン、グランシャルモが大きくそびえたち、一番奥にレムがかわいらしく見える。草つきの道も続いている。氷河のトラバースがあるとトポでみたが、神田さんからは解けているからピッケル、アイゼンはいらないだろう、とアドバイスをうけていた。朝は空気が冷えていて少し肌寒く緊張感が高まる。とりつきまでは2時間半、近づくにつれ意外と大きいな、という印象に変わる。前に1パーティ、後ろに2パーティという状況で11時前には登り始める。2ピッチ目は曲線クラックの走るスラブ。いきなり難しい。渡辺がリードするがカム類を持たずに来たので、全く途中支点がとれずランナウト。一番難しかったのは近藤先生から写真で見せて頂いた凹角のピッチ。前にいた米国人親子パーティーは敗退したのでますます緊張が高まる。ここを渡辺がリード、何度がテンションをかけたがなんとか登りきる。最後のピッチはハングで高度感があり最高だった。頂上に着いたのが2時過ぎとやや時間がかかったが途中で諦めずに登った福島、渡辺ともに満足していた。この日も天気はパーフェクト、シャモニ針峰群、モンブラン山群の眺めもしっかりカメラに納める。グランシャルモとのコルに懸垂下降で50分かかる。急なガリーを下り、中間駅へ。帰国日チューリッヒ空港で偶然再会することになる日本人に話かけられる。同志社大学出身の方。関西弁のトークがたまらなかった。

 結局この日は18時にアパート、とシャモニーでは一番長い行動時間となった。

(記:福島)

 

ダン・デュ・ジェアン(ノーマルルート) 晴れ 山田監督、板倉、三浦>

 朝食後8時にトリノ小屋出発。

この日はロシュフォールへ行く予定であったが板倉が戦意喪失していたこともあり計画は中止。

10時半シャモニーに着く。シャレーの鍵を持っていなかったのでミディ南壁を登っている後藤、高谷を待ち、13時半帰宅。(記:板倉)

 

ミディ南壁 レビュファルート(Y、7ピッチ) <後藤、高谷、ジャッキー>

8:10ミディ・ロープウェー駅〜8:35ミディ頂上駅〜8:55登攀開始〜12:00登攀終了(ミディ頂上駅)

 730分にガイドのジャッキー(Jacques Mottin;以下ジャッキー)と神田さんと待ち合わせする。そこで、装備のチェックを受け、ガイドとのロッククライミングでは、クランポン、ハーネス、確保器1つ、クライミングシューズ、自己確保のための登攀具だけでよいといわれる。また、アイスアックスは、隊に1本とすることも勧められる。8環、クランポンケースと高谷のアイスアックスなど、無駄なものは神田さんに預かってもらう。同時に、ハーネス等も装着する。始発のロープウェーに乗り込み頂上駅に着くと全員、無言のままミディの一般ルートへ進みクランポンをつける。10分ほど下り、取り付きへ。靴を履き替えて登攀スタート。1p目(D)。コンタミンルートからレビュファールートに向かう。2p目(E+)。核心部でもあるS字クラック。クラックからスラブ壁へと顕著なホールドなしで登る。最後はちょっとトラバースする。A0上等だ。3p目(D/E)。核心は越えたが油断はできない。いやらしいクラックとスラブが続く。4p目(D)この当たりもフォローで落ちるとかなり振られそうなので慎重に登る。5p目(D)。登山靴の入ったザックを持ったままはかなり厳しい岩を何度も試行錯誤しながら登る。ここでジャッキーは50mをほとんど使い次のビレーポイントは飛ばし、右の方へ回り、南壁の頂上を目指す。6p目(C+)少し安心しながら登れる。7p目(D、A1)。南壁の頂上がすぐそこに見える。ジャッキーも残置のスリングを使い自作アブミで越えていく。もちろん、我々も。頂上からは駅の展望台が見えて観客がたくさんいる。2回懸垂下降して展望台へ。登頂の喜びを噛み締めて山頂駅を後にする。(記:高谷)

 

9月5日(月) ※2隊に分けて行動

フレジェール・グランドフローリア(W、7ピッチ) 晴れ <古関、板倉、後藤、高谷、三浦、小柳>

 

 今日は6人で、赤い針峰群の岩登りに出かけることにする。赤い針峰群はシャモニーの谷を挟んで、モンブランやミディとはちょうど反対側に位置しているが、アプローチや岩場のスケールなどは遜色ない。3パーティーに分かれて登攀する。まず、古関・小柳ペアが登っていきルートを確認し、2年生ペアが同ルートを登ると計画でいった。1ピッチ目、2ピッチ目は簡単なV級程度の階段登り、3ピッチ目の途中で、古関はかぶり気味のフェースを直上したが、先のピンが見当たらず、テラスを左に横切ると、立派な懸垂地点があったので、そこで区切るのだと勘違いする。実は、もう少し直上するのが正規ルートだったと、三浦に後で指摘される。後藤、高谷ペアも僕らに続き、4ピッチ目チムニーに入る。あまりに難しいのと、支点が切れていて、なんとなくおかしいかなと思ったが古関は登ってしまっていて、更に懸垂下降用の地点まである。ここで間違いに気づき、後藤と高谷には来ないように言って、古関、小柳はこの支点から下に降りることにする。ちょうど10m真上に人がいたので、やはり先の直上が正しかったようだ。、2年生はちゃんと正規ルートに戻り、続行していたので安心して帰りを待つ。みなでシャモニーへ。

 

シャモニー〜モンタンベール〜クーベルクル小屋<福島、渡辺、山田監督>

 5日は4時間程度の行程とみて9時くらいにアパートを出る。ウィンパーらが眠る墓地の近くからモンタンベール行きの登山電車に乗る。871mの標高差、22度の勾配にまず驚く。さらにモンタンベールにつくとその雄大な景観におなかいっぱいになる。上をみると大きなドリュの塔。下をみるとフランスで一番大きな氷海、メールドグラス氷河がうねりながら奥のグランドジョラスに続く。アンザイレンしながらの2時間の氷河歩きを終えると、山田さんが大きな水晶を見つける。その後3人は下を向いて歩くことが多くなる。ケルンに導かれ連続する梯子を登るとグランドジョラスがいよいよ全貌をあらわにする。いつの日かあの壁をやってやろうぜ、と渡辺と誓い合う。モンタンベールからちょうど4時間で小屋に。落ち着いたところで、モアヌ南稜・南壁の偵察に向かう。同時に天気は下り坂、雲がでてくる。

空腹の僕らを待つのはお姉さんが運ぶコンソメスープ、チーズ、鶏肉のクリームソース添え、ライス。おいしかった。この小屋の外観は石造りで趣きがある上、人もよく、僕ら以外にはほとんで客がいなくて最高の一日だった。(記:福島)

 

9月6日(火) ※2隊に分けて行動

休養 <古関、板倉、後藤、高谷、三浦、小柳>

 

 午前中、板倉、後藤、高谷、三浦は、ガイアンの岩場へ。夕方、福島らと合流して、中華料理を食べにいく。お世話になった人たちへのお礼も兼ねて豪華なコースを頼むが、正直、質より量のほうが良かったと皆が口を揃えていた。

 シャモニーでの登攀活動が順調にいったのは、神田さん達をはじめ、アンセルム、クードレイ、他の様々な現地の人の働きがあったからだった。みな爽やかで紳士的で、居心地も最高だった。僕らの面倒を見てくださった多くの人たちに感謝している。本当にありがとうございました。さらに忘れてならないのは、このように引き合わせてくださったのは近藤先生のご配慮が隅々までいきわたっていたおかげであり、僕らのためにご尽力下さっていること、日本で心配なさってくださる先生を身近に感じていた。(記:古関)

 

モアヌ南面、一般ルート(V+)〜シャモニー

 朝食を済ませると5時半くらいに小屋を出る。暗い中ではあったが視界が悪くどんよりしているのがわかる。予報も悪かったため前日、いつでも引き返せるこの一般ルートを登ることを決めていた。急な雪渓を登り、ベルクシュルントを越えて取り付く。福島がトップでルートを探すが、どの方向に行っても残置ピンが見つからずランナウト。その都度クライムダウンするがなかなか緊張する。トポでは右にトラバースするはずだがと話しているうちに雨が降り出す。いさぎよくあきらめて下山開始する。「歯、痛い……か。」山田さんがつぶやく。敗退は痛いがその駄洒落も痛いのでは……。

 下山後、神田さんから「最近、こういったクラシック・ルートは次々フリー化され、残置ピンが撤去されている」と聞いた。下降ルートとして使われており岩ももろくコースも明瞭ではない。しかし見る力をもっと養わなければならないと感じた。そしてまたシャモニーに来たらモアヌにあがろうと渡辺と誓い合った。(記:福島)

 

9月7日(水) 雨

8時半シャモニー〜18時コルバラ

 

 シャモニー定着はここまで。監督は、ジュネーブへ向かい、僕らもコルバラを目指す。ミニバスでモンブラントンネルを抜けると、雨が降っていた。イタリア側から見えるモンブランを楽しみにしていたが、このひどい天気では、停まって回復を待つ気にもなれない。高速道路をひた走り、ボルツァーノへ。高速を降りたところで、交通規制にあう。どうやら200m先で、バイク同士の事故があったように思われる。コルバラで3時か4時頃、井口昌彦OBらと会えると思っていたが、すっかり遅くなってしまった。川口和雄OB、石原金洋OB、向坂守行OBらも心配して、雨のなか待って下さった。

 

2005年度ヨーロッパ・アルプス合宿報告書(下)

 前半戦は終わった。これからはさらに気持ちを引き締めて、ドロミテの岩登りに専念しよう。

 

9月8日(木) 曇り

インゴ(Ingo:以下インゴ)、カルロ(Karlo:以下カルロ)、ロベルト(Robelt:以下ロベルト)らガイドと打ち合わせ、チンケトーレで岩登り 

 朝起きて窓に目をやると、シャモニーでの好天ではないが、昨日より悪くない。今日は、以前からメールのやりとりで決めていたようにチンケトーレの岩場でトレーニングをして、技量をチェックして貰うが、彼らはガイドとしての約10日間の予定があるのと、僕らは3日間動いたら1日は晴天でも休養したいという希望を組み合わせて、あまり良くなさそうな天気予報を加味して、臨機応変に動ける予定を作り直さなければならない。とにかく、僕らの腕前を見てもらわないことには、話しにならないので、古関、後藤・渡辺、小柳とガイドのカルロのグループと、福島、板倉・高谷、三浦とガイドのロベルトのグループに分かれてチンケ・トーレへ。以後、この2グループで別行動する。

 古関らの登ったところは、近藤先生が以前登ったことのあるトーレ・ルーシーの6ピッチの岩登りではないだろうか。全体的に持ちやすいホールドが多く、快適な岩登り。福島らの方はすぐ隣りのトーレ・バランスの5ピッチのルートで、こちらの方は傾斜がきつく、福島ですら苦戦していたようだった。

 今回の検定試験もパスして、井口OBらのガイド、インゴを含めた計15人で、麓のレストランで昼食をとる。やはりドロミテの岩はスケールが大きくて、ルートファインディングに難儀しそうである。岩登りの全行程にガイドを雇うことに決め、束縛されることや、学生らしくない山登りではないのかと抵抗感はひどく感じていたが、どこでも登れてしまいそうな岩質と、ルートの多さに、トポだけで正規ルートを忠実に行くのは、なかなか難しい。また3年生、2年生がトップを登るにしても、まだ経験が浅く、万が一の対処の自信が持てない。それだけでなく、ガイドの車に乗せてもらうことで、アプローチは極端に近いものとなるし、なにより、毎日コミュニケーションをとることは、登山技術だけにおさまらない幅広い交流の良い機会となった。先頭にたつガイドが正しいルートを教えてくれるとしても、ガイドと直接ザイルを結びあわない古関、福島、板倉、後藤にとっては、技術的な困難は自分の力で判断せねばならず、登攀技術の錬成にもなった。

 

9月9日(金) 雨

福島、板倉、三浦はコルチナで装備買出し、他はコルバラで装備、食料の買出し

 雨なので、登攀用具の買出しにコルチナに行く者と、コルバラで今後の食料などの準備をする者に分かれる。

 コルバラには、情報センターがあって天気予報や、インターネットを通じて世界のニュースを知ることができる。またスーパーも何軒かあるので、特に困ることはない。コルチナのような華やかなショッピングモールはないが、緑と岩塔に囲まれた木造家屋の美観は、見習いたいものであるし、住む人々は、イタリア語でなくドイツ語でもない古代ローマ語のようなラディーノ語を話す独特の山岳民族出身で、人柄がたいへん良い。

 シャモニーの疲れが抜けきってない僕らにとって、良い休養となった。

 

9月10日(土)〜9月17日(土)※2隊に分けて行動

 

9月10日(土)

セラ・ラフィーチェロ (W、9ピッチ) 曇り のち 雨 <古関、後藤・渡辺、小柳、カルロ(以下、古関パーティーと省略する)>

 

8時コルバラ〜9時半取り付き〜13時半頂上〜14時半登攀終了〜コルバラ

 

 朝7時、福島パーティーを見送って身支度を整える。相変わらずの灰色の空で、カルロと頭を抱えるが、とりあえず車に乗り込む。途中の峠でお茶を飲んで、天候回復が好転してきたところで、再出発する。

 ここの岩場は、駐車場から徒歩20分ほど。セラの岩は固く、ドロマイト石灰岩はフリクションの利きが良い。取り付いてみると、意外と簡単に登れてしまうものである。ドロミテ初日ということで緊張感はあったが、楽しい岩登りが出来た。5人の呼吸は乱れることなく頂上へ。途端に雨が降ってきたので、ジャケットを着て早々と下る。カルロはドロミテの植生の話しをしてくれる。エーデルワイスについた雨粒が光ってみえた(記:古関)

 

チマピッコリシマ プレウスリス(X)<福島、板倉・高谷、三浦、ロベルト>(以下、福島パーティー省略とする。)

 朝7時にコルバーラを出てコルチナの北東に位置するトレチメラバレードに向かう。ミズリナ湖にはよらずまっすぐオーロンゾ小屋へ。チマオベスト、チマグランデ、チマピッコラを左に見ながら50分ほどで取り付きに。チンケトーレでのシステムで登るが福島は3ピッチ目のあるポイントで力つきる。2ピッチ目のXもかなりハードだったがここは腕がパンプして何度上がっても落ちて諦めた。ロベルト、高谷、三浦に敗退すると伝え板倉と一緒に懸垂下降。そのポイントからはしばらく厳しいチムニーが続く。福島、板倉はオーロンゾ小屋にまっすぐ帰るが、来る時とは天気が一変し視界が悪くなっていた。ロベルトパーティーが頂上に着いたのは12時40分くらい。同時に雨も降り出す。雨の懸垂下降、それも何ピッチも続くと結構辛い。小屋に皆がそろったのは16時くらい。

 夕食はペンネアラビアータ、パン、チーズ、ジャガイモの炒め物、スペアリブかローストチキン、フルーツ。縦走合宿から続く胃拡張の我々をも満たすおいしいディナーであった。(記:福島)

 

9月11日(日)

ラガゾイ・ランペンヒューレ (W+、7ピッチ) 曇り 古関パーティー

730コルバラ〜830取り付き〜1110バンド帯〜1330コルバラ

 

 ラガゾイはコルバラから東へ向かったファルツァレーゴ峠のすぐ側で、ここもアプローチには困らない。ランペンヒューレは、頂上までいかず、途中のバンドで登攀を切るが、内容としては充実したものだ。

 今日の天気もいつ雨が降ってきておかしくない。ジャケットはカルロのセカンドで登る渡辺のザックにつめて登っていく。カルロは、僕らの未熟な技術を見抜いて、より良いやり方を細かく教えてくれる。例えば、ピッチの区切りごとに環付きカラビナとロープのインクノットで自分のセルフビレイをとることや、環付きカラビナのゲートでないほうにロープをかけるなど、命に関わるような絶対してはならないミスを、正してくれた。

 天気が良くなくて、周りの景色が楽しめないのは残念であるが、クライミングだけ集中して行うのも、楽しいものだ。体の末端に神経を払い、自分の呼吸しか耳に入らない静かな世界がある。自分の登攀が終わっても、パートナーの為に気を抜くことができない緊張感も、充実したものだ。しかし、まだまだスピードアップできる余地はたくさんあるし、カルロが指摘してくれたような基礎的な部分を怠けてはいけない。細かいところではあるが、勉強になった一日だった。(記:古関)

 

モンテパテルノ(パタンコッフェル)ビアフェラータ カレリー (V) 福島パーティー

 

 視界ゼロの朝を迎える。予報も悪いと分かっていたので観光気分で楽しめる簡単なところに行くことに決めていた。モンテパテルノのノースリッジでビアフェラータ(鉄の梯子)とトンネルの続くコース。トンネルとは第一次世界大戦でイタリア軍が使用していたものでオーストリア軍をこの中から大砲などで迎え撃っていたようだ。ドロミテはそのころの激しい戦場であったようでこの後いたるところで戦争でつかったような壁や壕をみることができる。

 このコースは名前の通りビアフェラータが続き、観光といってもハーネスとヘッドランプを要する。靴はトレッキングシューズで十分だ。

 モンテパテルノの頂上でロベルトが語る。「Ah you can see normally big panorama. Big fantastic panorama! Very fantastic!」ロベルトのいいたいことはわかるが文法はおかしく発音が厳しい。イタリアなまりでnormallyはノルマリーだ。ここで少し彼のなまりを紹介しよう。Wednesdayはウェドネスデイ。Sportはスポルトゥだ。Anotherはアナダラ〜、dangerousはドンジェロウス。ロベルトの英語の通訳ならBグループのメンバーにお任せあれである。

 下りに一番長いトンネルが待っている。ヘッドランプ無しではかなり困難であろう暗闇の中をゆっくりと進み何度か出入りを繰り返すとロカテーリ小屋が見えてくる。この日セクストンという町からここまで上がる山岳レースが開かれていて選手を迎える人たちでにぎわっていた。ロカテーリ小屋でコーヒーを飲みオーロンゾに帰る。12時半。(記:福島)

 

 

9月12日(月)

休養 曇り 古関パーティー

 

 夕方までには福島たちが帰ってくるはずである。アパートは1部屋4人で使っているので、彼らの分の夕食を作って出迎えてあげようではないか。フランスでは、パンが美味しくて、「これだけでフランスに来た甲斐があったね」と言いあって、お弁当は毎回バゲットとチーズとハムにしたほどだった。イタリアの食事も美味く作った。パスタや米は安く売っている。じゃがいもと小麦粉で練った団子のようなニョッキは生まれて初めて食べて感動した。肉は井口OBの知っている肉屋のものが良くて、車で行かなければならないが、何度かビフテキを分けていただいた。

 さあ、今日は何のメシにしようか。と、登山だけでなく、食事も楽しみの一つとなっていた。(記:古関)

 

サスデストリア コーナールート (W、7ピッチ) 福島パーティー

 完全な晴れであればチマピッコラの14ピッチあるノーマルルートを登る予定だった。午後には崩れそうな場合はサスデストリアという別のところにある岩を登る計画をたてた。朝起きて悪い天気ではないと思ったが「Not perfect! Look! Breaking! Breaking!」と雲のかかるカディニ山群を指していう。なるほど、ロベルトは正しい。おいしいクロワッサンを食べてファルツァレーゴの近くにあるサスデストリアに向かう。イタリア語で魔女の岩、らしい。なぜだかは彼もわからない。

 運転は早い亀といった感じだが山歩き、岩登りは俊足兎。羊の大群をかきわけ取り付きのコーナーにつくと3パーティーのブリティッシュアーミースチューデントがすでに登っている。遅くてロベルトが怒る。そしてマッハスピードであがるので我々もスピードをかなり意識する。4ピッチ目にして完全に越しきっていた。残置ピンの数はそこそこ、V+、Wのグレードのピッチが続き最後にW+。意外と難なく越えトップにたつ。

 下りは一般の観光客が上がって来られるほどのゆるい道。1時半にはアパートに戻る。

ちなみにこの日より福島、板倉のパーティーは完全にリードしながら登る。(記:福島)

 

9月13日(火)

チマ・ピッコラ ノーマルルート(W)、14ピッチ 晴れ のち 曇り 古関パーティー、福島パーティーは休養

7時半コルバラ〜10時半オーロンゾ小屋〜11時取り付き〜13時半頂上〜17時小屋

 

 トレ・チメ・ラバレード! 3つのチンネは、剣岳のチンネとはスケールが違う。高度差500mで垂直に切り立った岩壁は、訪れたもの誰しも息を呑む光景だ。

 コルチナを通過して、車でオーロンゾ小屋まで入る。この小屋もなかなか立派な作りとなっている。今日登るチマ・ピッコラは、3兄弟の末っ子で東側に位置している。福島達が登ったチマ・ピッコリシマとは違い、規模は大きなものだ。ロングではあるが、ノーマルルート(W)を選んだので、技術的な問題は特にないだろう。

 取り付く前に、カルロからここの岩は脆いので、浮石や落石に注意喚起される。確かに今まで登ってきたドロミテの岩よりもボロボロで、浮石はそこらじゅうにある。日本で体験することができないクラシックの良いルートはたくさん残されているが、岩は意外と脆い。

 途中、雨が降ったりして、濡れて嫌らしい箇所もあったが、難なく登る。今までの登攀訓練の成果がでているのだろうか、体は軽く、クライミングも素早くなってきた。明日は、ドロミテの一つの目標だった、チマ・グランデをやろう。チンネの長兄の頂きにたつのだ。

 オーロンゾ小屋で、美味しい食事に舌鼓を打って、充実感に酔いしれながら、明日の勝利のために就寝。(記:古関)

 

9月14日(水)

チマ・グランデ ノーマルルート(U〜W) 20ピッチ 晴れ 古関パーティー

850取り付き〜1130-1200頂上〜1430取り付き〜1530ラバレド小屋〜1700オーロンゾ小屋

 

 聳えたつ灰色の岩塔は、「まるで魔王の宮殿みたいだ!」と、小柳に言わしめるほど異様な雰囲気を漂わせている。魔王の心臓とも言うべき、チマ・グランデを登る今日は、ドロミテに来て一番の天気に恵まれた。

 僕らが登る南東稜はとにかく長い。所々コンティニュアスして登るので、ロープワークの真価が試されるところだが、スーパーGというニックネームが定着した後藤と組んだ僕はそういう意味ですごく幸せだった。彼はとにかくがんばり屋で、手を抜くことを知らない。また、何も言わなくても、やらなきゃいけないことがわかっていた。お互い息も絶え絶えに登攀具を受け渡し、セカンドで登ってきた僕は、休む間を与えられずにリードの体勢が整えられていた。つるべで登っていて止まるということは全くなく、それだけカルロ、渡辺、小柳ががんばっていたということでもある。3人で登るのは非常に労力のいることだろう。

 あんなに、待ち望んでいた登攀はわずか2時間40分で終わってしまった。しかし、なんと素晴らしい登攀か! 技術的にそんなに難しいところはないのだが、異常な登攀スピードのため肺は常にフル稼働し、常に先のことを考えるため、血液は脳に集中していた。皆が集中力を保てたことに非常に満足している。頂上では、黄色い尖った嘴をもつ黒い鳥が一羽、青い空を優雅に舞っていたが、翼など必要ないとさえ思えた。

 下りも同様に密度の濃いものだった。カルロが絶賛してくれたように、懸垂下降やラペルに無駄はなかった。最後の人が懸垂で降りると、既に次の懸垂地点にロープがかけられていた。皆が一丸となっていた瞬間だったと思う。

 取り付きからラバレド小屋に行き、風邪気味のカルロを残し、ハイキングコースを歩く。その後、美味しいカプチーノで5人の健闘を称えあったのは言うまでもない。(記:古関)

 

セラ タワーT、タワーU トラバース (W、7ピッチ) 福島パーティー

          

 「ウェドネスデイ、ウェダラー、Good」ロベルトの言葉通りこの日はドロミテについてから一番良い天気となった。ウェダラーは天気のことである。

 セラ峠より西には巨大な岩峰、サッソルンゴ。南にマルモラーダがよくみえる。ルート名はトラバースであるがトラバースは一切しない。自分たちの体も岩に慣れてきたのか皆すいすいあがる。W+というグレードもなんとなくつかんできた感がある。核心部分は高度感のあるカンテで他に比べ時間もかかったがよいペースであがる。セラタワーTからUまではクライムダウンしてとりつく。タワーUのレベルはV+、W程度で低い。リッジ、カンテ、快適な凹角部分をあがり頂上へ。ロベルトから奥さんの話や冬はセラからどこへでもスキーが楽しめる、という話を聞く。しゃべりだすととまらない典型的なイタリア人ロベルトはお酒も好きである。慎重にセラを下りモンテパリーディ小屋につくと彼はグラスビールを頼む。小屋ではいつもワインを我々におごってくれた。イタリアは良き国だ。そしてロベルトはイタリア代表の良き国民だ。モンテパリーディ小屋からは2日後登るサスポルドイがよくみえる。下から上まで1200mくらいある。西にいる敵に構えた巨大な戦艦のようだ。

 この日はヴァイオレット小屋にて宿泊。ヨーロッパアルプス合宿で泊まった山小屋の中でこの小屋が最高だった。小屋自体歴史を感じるし趣がある。宿泊料も安くきれいなお姉さんが料理を運ぶ。そしてその料理がとてもおいしかった。落ちたほっぺたをくっつけてもまたすぐにおちるくらいおいしいスペシャルソースのローストチキンが忘れられない。(記:福島)

 

9月15日(木)

ファルツァレーゴ コミチフューレ(X、7ピッチ) 晴れ 古関パーティー

8時半オーロンゾ小屋〜9時-10時コルチナ〜12時取り付き〜14時半頂上〜17時コルバラ

 

 今日は夕刻までにコルバラに帰ってくるという約束だったので、トレ・チメを離れ、コルバラに近いファルツァレーゴ峠の岩場に取り付くことにする。コミチとは、昨日登ったチマ・グランデの北壁にルートを開拓したクライマーであり、今日のルートは短いが技術的な面では興味深いところだ。

 古関パーティーは誰一人コルチナに行ってなかったので、観光のため寄る。コルチナはお洒落な街で、僕らにはまだ敷居が高いような感じがしたが、小柳はK2スポーツで格好良いヘルメットを安く買えたので、とても嬉しそうだった。

 ファルツァレーゴに着いて、カルロから登り始める。1P目、かなり慎重に、登っているのか、いつもよりペースはゆっくりだ。50mロープいっぱいに伸ばし、渡辺、小柳が続く。次に後藤がリードしたが、チムニーは高度感があって、苦しい内面登攀を強いられていた。2P目、快適なカンテ沿いを登る。前の渡辺、小柳は、カルロが設置したアンカーを回収すべく、難しいフェースに苦戦していた。3P目、出だしが嫌らしいハングだが、後はなんてことはない。4,5,6P目は特に問題になるようなことはなかった。7P目で頂上となる。駐車場へ下ると、11日に会ったドイツ人パーティーが話しかけてきて、すてきな時間を持つことが出来た。

 コルバラに帰り、しばらくすると福島パーティーも帰ってきて、たくましくなった顔つきに安心した。(記:古関)

 

 

 

 

バイオレット トーレデラゴ デラゴカンテ (W+)、スタベラー ファーマン (W) 全7ピッチ 福島パーティー

 最高だった。俊足うさぎ、ロベルトは1時間かかるアプローチを30分でのぼりきる。肌寒かった朝も燃えるような暑さにかわり勢いがつく。これはいいアップになった。冷えないうちに登り始めるとロベルトの住んでいるボルツァーノの街が見えてくる。2ピッチ目はボルツァーノ側が400mの絶壁で高度感たっぷりである。さすがに緊張した。しかし同時に最高だった。「Look!」「Tomya, this is fantastic! No?」見上げるとロベルトがカメラを僕にむけている。今回このせりふは何回も聞いたが確かにファンタスティックで最も素晴らしいところの一つであったと思われる。最後のピッチは「ナイスディアドル!」を登って頂上。トーレデラゴの上からはシングルロープで6回ほど懸垂下降。そのままスタベラータワーのファーマンというルートにとりつく。トラバースではじまりカンテを越え凹角に入っていく。ちょうどよいレベルといった感じで快適な登攀が続く。頂上で大休止をとり大きなカティナッチョの他、ドロミテ特有の太い岩の塔がいたるところにたつ様子をカメラにおさめる。トーレデラゴとスタベラーの間を再度下り15時前には荷物を回収し落ち着く。アルベール小屋でカプチーノをいただきすぐでる。オーロンゾ小屋ではお世話になったシェフらに挨拶をしヴァイオレットにさようなら。

 ロベルトはリードであがる福島、板倉のためにカム、ランナー類は残す形で登ってくれた。つまりロベルトに続く高谷、三浦が登る際、ロープをカラビナから外すが設置したものは回収せず福島か板倉が回収し、それを高谷か三浦に渡し最終的にロベルトにまわるというナイスシステム、NO? Yes、ナイスシステム!安全に早くスピーディーに楽しく登れた。だがまだまだスピードをあげる余地があるのはいうまでもない。(記:福島)

 

9月16日(金) 晴れ

休養日 晴れ 古関パーティー 

 

 今日は晴れているが、カルロのプライベートタイムなので休み。買出しをしたり洗濯をしたりして、ゆったりとした時間を過ごす。(記:古関)

 

サスポルドイ 南壁マリアカンテ (W+) 福島パーティー

 14日はセラの北を走る道路を使ったがこの日はアラッバという町を通り南側からポルドイ峠に向かった。ロープウェーで上に上がることを考えていたが営業は9時から、8時についた僕らは歩いて取り付くことに。ロベルトは今日も速いだろうか……やはり速い。兎というか馬だろう、きついペースで取り付きへ。取り付きでは眼下に雲海が見渡す限りに広がりマルモラーダが顔を出している感じだ。「Fantastic! No?」とロベルト。もう完全に口癖だ。だがその通りファンタスティックだ。幻想的で最高だった。前半のピッチで思ったよりも難しく感じる。もろい岩とすべる岩があったためだ。トラバースしながら進み続けると再び高度感のあるカンテがでてくる。ここの部分がけっこうおもしろかったと覚えているが同時に天気も悪くなり残念であった。12時くらいにトップにつくが真っ白だ。何も見えず本当に残念だったが、ここの駅のレストランでランチを食べて終わる。ここからはあとはロープウェイで下るだけ。

 コルバラでロベルトが今までとった写真をCD―Rで、福島ら4人にプレゼントしてくれた。そしてアリベデルチ(さようなら)。またドロミテに来たい。(記:福島)

 

9月17日(土) 雨

自然博物館見学 雨 古関パーティー 、福島パーティーは休養

 

 憧れのトファナ・ディ・ロゼに行くはずだったが、このどしゃ降りの雨では諦めるしかない。前夜、天気予報が悪いので、翌日の朝に電話をかけてくれるという約束をして、ちゃんと朝の5時に携帯の着信音が鳴り響く。どこもひどい天気と言う。今日でドロミテ山行は終わりだが仕方ない。カルロはコルバラまで来てくれるというので、自然博物館へ連れていってもらう。OBらもインゴと一緒にやってきた。ここは、ドロミテの地質的、生物学的展示が多い。カルロが英語で一生懸命教えてくれる。例えば、なぜドロミテには独特の奇岩、特にトレ・チメのようなものが出来たのかを説明してくれたのは興味深かった。創世記に分裂した大陸が衝突しあって、変則的な隆起が起きたのが発端のようで、昔は海だった証拠としてアンモナイトなどの化石が採れるらしい。その後、繰り返された氷河期と温暖化で、氷河が流れ、岩の塊を削って作り出したのが、あのトレ・チメの北壁だ。巨岩の片側だけが、スパッと垂直に切れ落ちているのはそういった理由らしい。他にも、ドロミテに生息する大鷲の生活ぶりをとった写真や、その凄まじい握力が体験できるようなコーナーがあって、なかなか楽しめる。

 昼、お世話になったガイドと打ち上げをする。美味しいワインと、肉やパスタなど、お腹いっぱいに食べて、夜は身支度。

 登攀活動が無事大きな事故もなく終えられて本当に良かった。がんばった部員たち、OBやガイド、支えてくれた多くの人たちに改めて感謝する。

 

9月18日(日) 雪 のち 雨

コルバラ〜ヴェネチィア、観光

 

 ベニスのマルコ・ポーロ空港からスイス航空機で帰るため、マルチバスで向かう。

 アパートを綺麗にして、外に出ると、なんと雪が降っていた。

 夏は岩登り、冬はスキーが身近に出来るなんて願ってもない。今度来る時はスキーも良いななんて夢を抱いて、ロマンと歴史の街ヴェネチィアへ。

 空港に程近いユースホステルに着いてから、夜の集合時間まで基本的に自由行動とした。サンマルコ広場をはじめ、周りがすべて美術館のような美しい町並みに心打たれる。水没が危ぶまれて、環境問題などいろいろな課題があるが、文化を守るということは永久的に受け継ぐべき大切なものだと感じた。

 

9月19日(月) 曇り

 いよいよ出国の時を迎えてしまったようだ。

 楽しかったヨーロッパ。またいつか、早稲田で海外合宿が行われることを願うとともに、その時はどんな形であれ、お返しが出来たら良いなと思う。

 

6.総括

 ヨーロッパアルプスで合宿を行い、無事に全員が帰ってきた。モンブラン山群では、氷河歩きや、未知なる標高を経験し、モンブランをはじめ様々なピークにたった。ドロミテ山群では、日本よりも少ない支点のなか、スケールの大きい岩登りができた。

 結果として、今合宿は成功したが、準備の段階から合宿として海外の山を登るというのはそう簡単なものではないということはわかっていた。ガイドブックが氾濫しているヨーロッパとはいえ、準備には相当な労力が必要だ。近藤等先生や井口昌彦OBらが真摯に協力して下さらなかったら、密度の濃い山行が出来なかったことは間違いない。お金の問題もある。WAC基金や、OBからの寄付に助けられたが、今回僕が設定した個人負担金は、いつしか部員らの心の余裕も奪い取ってしまって、部の雰囲気をもぶち壊しかねないのではないかと気を揉んだことがあった。日本にいてもやれることは沢山あるという考え方もあるだろう。力のないうちに海外へ出ても成果が上がらず、もったいないような気がするのも理解できる。

 しかし、なぜそれほどまでに海外にこだわったのか。

 一言で言えば、山を登る行為そのもの以外の大事なことや楽しみかたを知って欲しかったからだ。

 異文化というフィルターを通して初めて見えてくる世界はたくさんあるはずだ。例えば、日本には当たり前にあるコンビニエンスストアは全くなかったように、物の豊かさに囲まれていると、いつしか物の大事さまで失ってしまった気さえする。

 コミュニケーションをとるということも非常に大事なことの一つであろう。人と接することは、自分を見つめることであり、一生懸命自己表現するために、自分のことや日本のことをよく知る必要がでてきて、素養として身につけようと思ったはずだ。

 今合宿の目的は、海外の山登りを知ることでもあった。アルプス的な「スピード=安全」を実践するための技術や体力は体験しないとわからない。生かすべきところは自分たちで判断して、国内の山登りにフィードバックして欲しい。

 最後に、僕らがこのような貴重な体験ができたのは、支えてくれた色んな人たちのおかげであったと思う。WAC基金の拠出をはじめ、OBたちの思いのこもったカンパや、無知な僕らに情報を与えてくださった先輩方のご協力があったからだ。改めてお礼申し上げたい。本当にありがとうございました。