要項
リーグ戦
成績
学内記事
備考
1901
(明治34年)
同士の士が集まり野球部を創立。
体育部に初めて野球部が設置される。
最初の対外試合対学習院大学に7対6で快勝。
鎌倉で冬季練習を行う。


 
早稲田実業学校創設。
安部磯雄体育部長となる。
シカゴ大学と入学に関する連絡なる。
 
義和団事件議定書調印
1902

(明治35年)
栃木県宇都宮中学校にて第一回夏季練習を行う。
戸塚球場(後安部球場)竣成。
 
本校の名称を早稲田大学と改称。
早稲田大学創立20周年記念祝典。
体育会発足。
日英攻守同盟条約調印。
1903
(明治36年)
最初の対外人戦。
横浜在住の外国人と対戦し9対7で快勝。
第一回早慶戦開催(慶應三田綱町グランド)
 
高等師範部開設。
新築校舎竣成。
専門学校令公布。
1904

(明治37年)
退学習院14対7にて快勝。
対一高6対3、対慶應7対1それぞれ快勝。
対横浜外人戦9対6にて快勝。
野球部増設、その開場式を兼ねて慶應、学習院
青山学院などを招きそれぞれ連破す。
前シカゴ大学投手メリィフィールドのコーチを受ける
 
大学部商科の開設。
体育部評議委員会開く。
専門学校令により大学となる。
対露宣戦布告。
1905

(明治38年)
安部磯雄の引率で第一回渡米
(4月4日〜6月29日)7勝19敗で帰国。
早慶戦3回勝負となる。
秋の早慶戦決勝の日、応援団が組織される。
 
大学部第一回得業式。

清国留学生予科授業開始。
日本海海戦。

日露講和条約調印。
1906

(明治39年)
米艦ウィスコシン野球団と対戦。
応援問題で早慶三回戦中止となり、以後早慶
対抗競技一切が中絶する。
 
ペンシルヴァニア大学と入学の連絡なる
 
1907

(明治40年)
横浜外人、学習院、横浜商業、早大の間に京浜野球団
が結成され、その第一回リーグ戦に優勝。
このリーグ組織は日本最初のものである。
日本最初の外来チーム、ハワイセントルイス野球団
来日、早大は三戦全敗に終わる。
 
校長、学監制廃止、総長、学長制施行。
大隈重信銅像除幕式。
校歌制定。

日韓新協約成立。
1908

(明治41年)
安部球場の周囲に木柵を作りスタンドも造られ、
外装が完成に近づく。
選手合宿所を戸塚村字諏訪の森に置く。
シャトル・ワシントン大学を招待した早大は
1勝4敗に終わる。尚、この試合ではじめて入場料
を徴収する。
米国東洋艦隊と歓迎試合を行う。
米国職業人野球団、リーチ・オール・アメリカン
スターチームが来日。職業人野球団が日本に来た
のはこれが最初。
前シカゴ大学選手プレース、宣教師として来日、
暇を見て早大選手をコーチする。
 
文学部に史学科開設。
財団法人設立認可。
米国に日本人排斥問題発生
1909

(明治42年)
ウィスコンシン大学来日、早大は1勝1敗に終わる。
西尾守一最初のマネージャーに就任。
稲門倶楽部設立される。
 
理工科新設授業開始。
新聞研究科を設置。
新聞紙法公布
1910
(明治43年)
安部磯雄引率の下に第一回ハワイ遠征
(6月22日〜9月2日)12勝12敗1分け。
シカゴ大学来日、以後5年ごとに交換招待の約束なる。
   
大逆事件。
韓国合併詔書発布挑戦と改称。
1911
(明治44年)
高杉瀧蔵引率の下に第二回米国遠征
(3月28日〜8月17日)17勝36敗。
東京朝日の社会面に「野球の害毒」なる記事が載った
ため阿部部長をはじめ早大野球関係者が大いに反論し
結果は野球側の勝利に終わる。
早慶戦の復活に慶應側が拒んだ為、慶應野球部に対し
絶縁状を発し、同時にこれを新聞、雑誌に公表する。
 
早稲田工手学校開校。
恩腸記念館竣工。
戸塚運動場の敷地買収。
第三回日英同盟協約調印。
1912
(明治45年)
河野安通志引率の下に第一回マニラ遠征
2勝3敗。
マニラ陸軍野球団来日、1勝1敗。
選手の2部制をとる。
 
 
明治天皇崩御。
日本航空協会設立。
1913
(大正2年)
フィリピン土人野球団来日、2勝1敗。
ワシントン大学招待、1勝1敗1分け。
明大を招待して創立30周年記念大会を行う。
 
文学史学科を史学及び社会学科と改制。
創立30周年記念祝典。
ブラジル集団移民1800名出発。
1914
(大正3年)
早慶明により三大学リーグがなる。
明治44年12月に発した慶應への絶縁状を取り消し、
明大は極力早慶戦の復活に力を貸すことを誓う。
 
大隈重信総理大臣に就任。
第二次大隈内閣成立。
対独宣戦布告。
1915
(大正4年)
第二回マニラ遠征、1勝4敗。
シカゴ大学招待、4戦全敗。
法政大学との対抗試合を開始。
奈良にて初の冬季練習を行う。
 
高田早苗文部大臣に就任。
学長に天野為之、理事に塩澤昌貞、田中
穂積、田中唯一郎就任
 
1916
(大正5年)
河野安通志引率の下に第三回渡米
(3月25日〜7月17日)9勝19敗。
留守部員、橋本勇二監督のもとで連勝記録を作る。
ハワイ・セントルイスクラブ来日、1勝2敗。
 
理工科応用科学科開設。
大隈首相遭難。
大隈内閣総辞職、
寺内内閣成立。
1917
(大正6年)
フィリピン、支那、日本の三国連盟極東大会に
日本を代表し優勝。
第一回満州、朝鮮遠征
(6月30日〜7月20日引率者高杉瀧蔵)
8戦全勝。
法政大学と初の対戦。
4大学リーグ連盟が結成される。
秋2位
学生の政治運動の参加禁止を公示。
極東競技大会開催。
1918
(大正7年)
安部磯雄引率第三回台湾、マニラ遠征
(12月24日〜2月)11勝2敗。
軽井沢に、グランド及び合宿所が竣成し、第一回
夏季練習を行う。
極東大会日本予選で優勝。しかし日本がリーグを脱退
したため不出場。
春2位
秋2位
創立25周年記念祝典。
シベリア出兵。
1919
(大正8年)
4大学リーグ戦はこの年より三回勝負となる。
満州クラブ来日、10対1で破る。
春優勝
秋2位
専門部各科の学年始めを4月に改制。
安部磯雄図書館長に就任。
ベルサイユ講和条約会議開催。
1920
(大正9年)
関西学院と春秋一回定期戦を行うことを決める。
シカゴ大学招待、2勝4敗1分。
戸塚球場の周囲にコンクリート塀を設ける。
飛田忠順専任コーチ(監督)になる。
米国プロフェッショナル・オール・アメリカン・
オールナショナルチーム来日、早大2試合ともに大敗。
春優勝
秋優勝
新大学令により大学設立認可。
高等学院設立。
尼港事件わが軍出征。
学位令公布。
第一回国勢調査。
1921
(大正10年)
安部磯雄引率し第四回米国遠征
(3月27日〜7月29日)15勝23敗。
高等学院野球部創設。初代部長高谷実太郎。
ワシントン大学招待、5勝5敗。このとき飛行機からの
始球式始まる。
秋季リーグ戦より立教大学加盟五大学連盟になる。
渡米選手一行の執筆による旅行記「米国遠征記」
博文館より出版される。
カナダ・スター来日、早大6対5で破り、唯一の黒星
を与える。
春渡米
秋優勝
第二高等学院開設。
皇太子欧州各国訪問の為出発。
1922
(大正11年)
インデアナ大学を招待、3勝1分。
大隈侯記念事業後援試合を地方にて行う。
全米野球団来日、4対1で敗れる。
日本運動協議会(日本最初のプロチーム)が最初の
試合を早大に申し込み、これに勝つ。
春4位
秋優勝
大隈重信歿。
高等予科廃止。
第一回早慶ラクビー定期戦開催。
創立40周年記念式。
海軍軍縮条約調印。
皇太子御成婚。
学生頒布50年記念祝典挙行。
1923
(大正12年)
高等学院野球部全国高専野球大会で優勝。
軽井沢合宿所を増築。
摂政宮殿下台覧試合を軽井沢グランドにて行う。
秋季リーグ戦の入場料を早大罹災学生救済事業に
寄贈する。
シャトル・ミドリチーム来日、5対0で勝利。
春優勝
秋優勝
関東大震災で被害を受ける。
高田早苗総長に就任。
大隈信常を名誉総長に推薦。
 
1924
(大正13年)
帝国大学と初の試合を行う。
飛田忠順引率の下に第二回満州・朝鮮遠征
(7月26日〜8月9日)12勝1敗1分け。
春秋リーグ戦に全勝を記録、稲門倶楽部もまた
七戦全勝。
春優勝
秋優勝
早稲田専門学校開校。
オリンピックパリ大会。
1925
(大正14年)
東大がリーグに加盟し、六大学野球連盟がなる。
戸塚の騎兵隊横に合宿所が竣工され、同時に2万5千人
収容のスタンドが戸塚球場に新築。
飛田専任コーチを辞し、東京朝日に入社。
シカゴ大学招待、2勝1敗2分け。
早慶戦復活。
野球部創立25周年を記念し、飛田忠順編集の
「早大野球部史」が発刊される。
春3位
秋優勝
英語専攻科新設。
学生軍事教練実施。
JOAKラジオ放送開始。
治安維持法公布。
普通選挙法公布。
1926
(大正15年)
スタンフォード大学招待、4勝1敗。
フィリピン野球団来日、4対1で敗れる。
ハワイ・スター野球団来日、2敗を喫する。
ワシントン大学来日、4勝4敗。
春2位
秋優勝
学監部の新設、学位を政治学、経済学、
法学、文学、商学、工学の六種と
定める。
神宮球場竣工する。
大正天皇崩御。
1927
(昭和2年)
高杉瀧蔵引率で第五回米国遠征
(4月2日〜7月21日)22勝12敗。
フレノス野球団来日、早大留守軍8対3で敗れる。
留守軍、東北、北海道、樺太遠征、16戦全勝。
安部先生胸像除幕式が戸塚球場で行われる。
早明2回戦が初めてラジオで放送される。
春渡米
秋3位
第一回体育祭開催。
バスケット部渡米。
連合青年女子団発表。
上野・浅草間地下鉄開通。
1928
(昭和3年)
スタックトン邦人野球団来日、早大2勝。
南カリフォルニア大を招待、早大1勝3敗。
マッキンレー野球団来日、早大1勝1敗。
イリノイ野球団来日、早大1勝1敗。
米国職業団チーム来日、1勝1敗。
春2位
秋3位
早稲田大学高等工学校開校。
競走部渡英。
オリンピックアムステルダム
大会。
1929
(昭和4年)
この年よりリーグ戦に先立ち加盟校の入場式を行い
また一日二試合制となる。
カリフォルニア大学来日、2勝。
北支、満州、朝鮮遠征
(7月25日〜8月25日)11勝2敗。
春2位
秋優勝
柔道部渡米。
日航輪KK旅客飛行開始。
1930
(昭和5年)
シカゴ大学を招待、3勝3敗。
早慶戦入場券配布問題起こり、同盟休校事件を引起す。
安部磯雄六大学野球連盟会長に就任。
春3位
秋3位
河口湖畔運動場開場。
ロンドン海軍軍縮条約調印。
1931
(昭和6年)
台湾遠征
(12月27日〜1月20日)7勝1敗。
早慶戦に楽隊付き応援が初めて行われる。
山本忠興博士研究のテレビジョン野球実況放送試験が
戸塚球場と早大電気実験室との間で行われる。
全米職業団来日、8対5で惜敗。
春2位
秋2位
田中穂積総長に就任。
応援部設立公認。
文学部校舎竣工。
満州事変勃発。
神宮球場の新装成り、
収容人員6万5千人に増加。
1932
(昭和7年)
全ハワイ野球団来日、9対1で快勝。
東伏見球場を二軍の練習場とする。

早稲田大学野球部、六大学連盟を一時脱退するも
間もなく復帰する。
安部磯雄六大学連盟会長を辞任。
ハワイ野球団来日、早大二軍15対3で敗れる。
高杉瀧蔵引率の下にハワイ遠征
(6月23日〜7月21日)9勝2敗。
赤松保羅引率し、二軍満州、朝鮮、九州遠征
(7月15日〜8月17日)18勝2敗。
ミシガン大学来日、早大勝利。
3位
一シー
ズン制
学制改革。
早大、明大学生満州国訪問。
ロサンゼルスオリンピックで
南部忠平三段跳びに優勝。
早稲田大学創立50周年記念祝典、
大隈、高田銅像除幕式。
早稲田大学体操会創設。
文部省野球部統制令施行。
第一次上海事変勃発。
満州国建国宣言。
社会大衆党結党、委員長に
安部磯雄就任。
オリンピックロサンゼルス大会。
1933
(昭和8年)
ハワイ朝日野球団来日、2勝。
フィリピン・セント・トーマス来日、早大二軍勝利。
大下監督引率の下、上海遠征
(6月24日〜7月10日)4勝2敗。
戸塚球場に夜間照明が設置され、日本初の夜間試合が
行われる。対戦カードは早稲田大学野球部二軍対新人。
二軍、猪瀬先輩の下満州、朝鮮、九州遠征
(7月〜9月)18勝3敗。
三軍北海道、樺太遠征
(7月28日〜8月24日)16勝2敗。
早慶第三回戦でりんご事件が起こり、大いにもめたが
両大学の了解なり一ヶ月間で解決。
3位
理工学部テレビジョン研究室竣工。
武道館開館式。
レスリング部ハワイ遠征。
国際連盟脱退。
1934
(昭和9年)
松本厚志引率の下に満州、朝鮮、九州地方遠征
(6月17日〜7月10日)10勝1敗。
ハーバード大学来日、17対2で大勝。
専門部在学生により専門部野球部が創立、
初代部長外岡茂十郎。
2位
図書館増築竣工。
国民精神文化研究所開設。
ワシントン条約廃止を
米国に通告。
丹那トンネル開通。
1935
(昭和10年)
山本忠興引率し台湾遠征
(12月26日〜1月19日)9勝1敗。
エール大学招待、4勝1敗1分け。
合宿所新築なる。
全米アマチュア野球団来日、7対0で敗れる。
春2位
秋優勝
 
青年学校令公布。
1936
(昭和11年)
ハワイ・ブレーブス来日、12対2で敗れる。
影山千万歳引率の下に第六回米国遠征
(5月1日〜7月15日)15勝7敗。
留守軍青島、満州遠征、10勝4敗。
春渡米
秋優勝
東伏見プール竣工。
ロンドン軍縮会議脱退。
新議事堂落成。
オリンピックベルリン大会。
1937
(昭和12年)
アラメダ野球団来日、16対3。
春2位
秋2位
 
文化勲章制定。
帝国芸術院設置。
日華事変勃発。
1938
(昭和13年)
久保田明光の引率で第三回ハワイ遠征
(7月15日〜8月19日)7勝1敗。
国民精神作興大会関西大会に早慶両校が出場。
甲子園球場での早慶戦はこれが最初。7対6で敗退。
春2位
秋3位
大隈老侯生誕百周年記念祭。
日満伊協定調印。
東亜文化協議会成立。
日独文化協定調印。
1939
(昭和14年)
満州遠征の予定であったが、文部省の許可がえられず
中止。
春優勝
秋2位
専門部工科開設。
興亜青年勤労報国隊壮行会。
大学軍事教練の必須科設定。
文部省学生野球改革案を提示。
1940
(昭和15年)
東伏見球場を廃止し、全員戸塚球場にて練習を行う。
リーグ戦一本勝負の新体制をとる。
紀元二千六百年奉祝東京市民体育会に際し、
早慶新人戦を神宮球場で行う。
春4位
秋3位
理工学部研究所設置。
紀元二千六百年奉祝並に、本大学
創立六十周年記念式。
学徒錬成部新設。
日独伊軍事同盟調印。
大政翼賛会発足。
1941
(昭和16年)
対立命館大学戦で37対0の記録的大勝をする。
安部磯雄先生喜寿祝賀謝恩野球祭開かれる。
ようやく戦時体制が強化され、学生野球に対する
制圧が厳しくなる。
春2位
秋優勝
 
大日本青年少年団結成。
大学専門学校修業年限6ヶ月短縮。
太平洋戦争勃発。
1942
(昭和17年)
文部省野球弾圧を企てる。
野球部は球技各部を代表して神宮⇔井の頭間
武装競走に出場、その強靭さを示す。
明治神宮国民練成大会に参加。
春3位
秋優勝
高等師範部に国民体練科新設。
電気通信学科独立。
早大体育会解散。
大日本婦人会創立。
大東亜省開設。
1943
(昭和18年)
学徒体育大会等一切禁止され六大学連盟に解散令降る。
戸塚球場にて学徒出陣壮行早慶戦、10対1で大勝。
このとき突如として球場の一角より「海行かば」の歌
声起こり全体に広がり厳粛な雰囲気に覆われる。
リーグ戦
中止
工業経営学科、石油工学科独立。
土木・工学科開設。
出陣学徒壮行会戸塚道場で挙行。
学生の勤労動員を法制化。
学生の徴兵猶予停止。
1944
(昭和19年)
大学当局は各運動部に解散を勧告し、全ての部がこれ
に従ったが野球部だけは拒絶する。
リーグ戦
中止
高等工学校工業専門学校に昇格。
中野登美雄総長に就任。
文部省、学校工場化実施を通達。
夜間学生にも勤労動員実施。
1945
(昭和20)
野球復興第一陣全早慶戦が行われる、これが終戦後
日本最初の試合。
米軍進駐と共に神宮球場接収される。
リーグ戦
中止
学徒練成部は学生課に吸収。
戦災により諸施設の三分の一を焼く。
天皇「終戦の大詔」を放送。
降伏文書に調印。
1946
(昭和21年)
リーグ戦再開される。
攝政盃を返還、新たに天皇杯御下賜となり、初めての
拝受校となる。
日本学生野球協会結成される。
春3位
秋1位
安部磯雄名誉教授に推薦される。
極東軍事裁判開廷。
教職員追放令施行。
日本国憲法公布。
1947
(昭和22年)
大学野球に王座決定戦を設ける。
安部磯雄、日本学生野球協会会長に就任。
早慶戦切符配分法問題についての学生大会が開かれ
早慶戦ボイコットを決議す。
野球部は学生の入場は無切符、無料の旨を宣言す。
春2位
秋6位
教職員学生協議会規程施行。
早稲田大学復興会結成。
公職追放令を財界、言論界、地方
公職に拡大。
教育基本法、学校教育法実施。
日本国憲法施行。
全国大学教授連合発足。
日本峡職員組合発足。
1948
(昭和23年)
合宿所を補修する。
外岡茂十郎引率の下大学復興資金募集応援遠征
(11月20日〜29日)3勝2敗。
春優勝
秋3位
本大学本部組織に部長制を復活。
新制大学設置委員決定。
稲門体育会発足。
早稲田大学産業復興会創立総会。
新制高等学校法発足。
大韓民国成立。
1949
(昭和24年)
安部磯雄追悼式挙行。
戸塚球場を安部球場、合宿所を安部寮を改称。
安部磯雄追悼野球大会が後楽園球場で行われる。
春優勝
秋3位
安部磯雄死去(2月10日)
新制大学に体育部創設され、飛田
忠順、教授、森茂雄講師となる。
国立大学設置法公布国立
新制大学発足。
1950
(昭和25年)
日本学生野球憲章生まれる。
部創立50周年記念式典挙行。
野球部史「50年史」の編集が始まる。
春優勝
秋優勝
 
インド共和国成立。
朝鮮事変。
1951
(昭和26年)
ハワイレッドソックスチーム来日、1勝2敗。
春優勝
秋4位
新制大学院開設。
新制大学院開設式。
児童憲章制定。
日本私立大学連盟創設。
対日講和条約、日米安全保障条約
調印。
1952
(昭和27年)
神宮球場八年ぶりに明治神宮に返還される。
フィリピンマニラスターズ来日、早大2勝。
米国太平洋海岸大学選抜軍来日、早大3敗1分け。
全日本大学選手権大会始まる。
春3位
秋優勝
体育局設置。
日米行政協定調印。
オリンピックヘルシンキ大会。
1953
(昭和28年)
職員対抗早慶戦、1勝1敗。
職員対抗早慶戦1勝4敗1分け。
春2位
秋3位
校規改正。
庭球部50周年記念祝賀会。
NHK東京テレビジョン放送開始。
日米通商航海条約調印。
1954
(昭和29年)
台湾遠征(12月17日〜1月9日)10勝1敗。
慶大を連破し4シーズンぶりでリーグ戦優勝。
職員対抗早慶戦、現役、OBとも快勝。
春3位
秋優勝
 
 
1955
(昭和30年)
於福井市全早慶戦、6対0にて快勝。
早慶戦にて17度目の優勝。
春2位
秋優勝
校友会館竣工。
館山寮開寮。
日本生産性本部発足。
1956
(昭和31年)
オハイオ州立大学来日、早大引き分ける。
春優勝
秋3位
生産性研究所新設。
高等学院落成。
新教育委員会法施行。
オリンピックメルボルン大会。
国連総会日本の加盟承認。
1957
(昭和32年)
台湾遠征(12月20日〜1月7日)
春4位
秋4位
早慶ボートレースの珍事。
水泳部中国に遠征。
記念会堂竣工。
飛田忠順紫緩褒章受賞。
1958
(昭和33年)
ブラジル遠征(6月14日〜8月1日)15戦全勝。
森茂雄、監督を辞し石井連蔵新監督となる。
春3位
秋5位
専攻科新設。
演劇博物館開館30周年記念式。
道徳教育開始。
1959
(昭和34年)
全日本大学選手権で関学を破り優勝。
日米親善試合、対全米海兵隊選抜軍に7対3で快勝。
春優勝
秋2位
理工学部創立50周年記念式。
語学教育研究室設置。
皇太子御成婚。
国民年金法施行。
1960
(昭和35年)
早慶6連戦。
春2位
秋優勝
創立80周年記念事業募金開始。
オリンピックローマ大会。
1961
(昭和36年)
安藤投手、リーグ戦通算34勝を挙げる。
春4位
秋4位
菅平グランド拡張。
体育局新校舎竣工。
学生ホール増築完成。
ソ連人工衛星打ち上げに成功。
ソ連核実験再開。
1962
(昭和37年)
慶應義塾大学と台湾に遠征し、各地で全早慶戦を行う。
(12月30日〜1月14日)
春4位
秋5位
大学創立80周年記念式典。
体育局創立60周年式典。
文学部校舎竣工。
 
1963
(昭和38年)
六シーズン連続Bクラス。
館山で異例の冬季合宿
春4位
秋4位
大隈重信生誕125周年記念祭。
 
1964
(昭和39年)
石井連蔵監督を辞し、石井藤吉郎新監督となる。
六シーズンぶりに優勝。
外岡茂十郎、部長を辞任し中谷博、新部長に就任。
春1位
秋2位
安部磯雄生誕百年祭。
東京オリンピック。
1965
(昭和40年)
沖縄、台湾遠征(12月〜1月)。
飛田穂洲死去。
学生野球憲章を改正。
対同志社大学定期戦復活「安部定期戦」と命名される。
早慶戦に連勝。
 
山岳部ローツェシャールに挑み失敗。